『ようこそジャパリパークへ〜こんぷりーとべすと〜』インタビュー
大石昌良が振り返る「ようこそジャパリパークへ」のすべて 「すごいアニメドリームだった」
アニメ『けものフレンズ』のオープニング主題歌「ようこそジャパリパークへ」の各バージョン30曲をコンパイルしたベスト盤『ようこそジャパリパークへ〜こんぷりーとべすと〜』がリリースされた。星野源や平井堅など、数多くの著名人に絶賛され、どうぶつビスケッツ×PPPが音楽番組に呼ばれるなど、アニソンの枠を越えて、社会現象を巻き起こすほどの大ヒットとなったことを作詞・作曲・編曲を手がけた大石昌良は、今現在どう受け止めているのか。アニメ主題歌史に大きな“爪痕”を残した「ようこそジャパリパークへ」の裏側を語り尽くしてもらった。(永堀アツオ)
“ジャパリパークのテーマソング”がひとつの指針だった
――CDとDVD合わせて全30曲の全てが「ようこそジャパリパークへ」というベスト盤がリリースされました。
大石昌良(以下、大石):これ言っちゃダメかもしれないですけど、やりすぎですよね(笑)。
――あはははははは。
大石:ちょっとおかしいクレジットになってますね。いろいろと調べたんですけども、これだけのクレジットがあるのはTM NETWORK「Get Wild」と松崎しげる「愛のメモリー」くらいじゃないかって言われてて。それで言うと「Get Wild」も「愛のメモリー」も素晴らしい名曲なので、その仲間入りができたなと非常に嬉しく思っております(笑)。
――壮観ですよね。最初にこの企画を聞いたときはどう感じました?
大石:ディレクターに聞きました、「本気ですか?」って(笑)。でも、確かに、たくさんのバージョンを録っていたし、作品に合わせていろんな用途があって、いろんな形でこの楽曲を使っていただいたりもしてたので、まとめていただけるっていうのはありがたいことなので、僕も「是非」とお答えしました。でも、びっくりはしましたね。自分のボーカルもボーナストラックで入ってるっていうのは、(けものフレンズファンの皆さんに対して)大丈夫かな…? って思ったところでした。
――大石さんのセルフカバーアルバム『仮歌』(オーイシマサヨシ名義)にも収録されていましたし、やっぱり、デモバージョンも聴きたいじゃないですか。
大石:でも、僕だけフレンズじゃないので(笑)。劇中に出てこないけど大丈夫かな、みたいなところはありましたけども、面白がっていただいたならよかったなと思います。
――では、改めて、楽曲の出発地点からお伺いできますか?
大石:2016年の夏にビクターのディレクターである内田峻さんから依頼があって。今だから言える話ですけど、内田さんからは「もしかしたら当たるアニメではないかもしれないですけど、この作品は大石さんに主題歌をお願いしたいんです。書いて頂けませんか?」って言われたんですよ。その場で僕は「ぜひ書かせてください。」とお答えしました。その後、初めて製作委員会に顔を出して。どういう物語なのかっていうリサーチをしたんです。
――製作委員会に顔を出すところから関わったのはどうしてでした?
大石:呼ばれたから行ったんです(笑)。僕も初めてのことだったんでマネージャーと「製作委員会に顔出すって珍しいよね」みたいな感じだったんですけど、フタを開けてみたら、それが結果的によかったって感じてて。ただ、当時、一番最初に製作委員会にお伺いした時には、まだプロットがしっかりとはできていない状態だったので、ふわっとざっくりとどういう物語なのかっていうのを聞かされたっていう感じでしたね。
――楽曲に関してのリクエストはありましたか?
大石:具体的なリクエストっていうのはそんなに多くなくて。逆に、僕から提案させてもらったっていう感じでしたね。ジャパリパークっていう、いわゆるテーマパーク的なものがアニメの世界で開いていくっていうところで、フレンズたちがみんなで楽しく賑やかに歌えるような楽曲、“ジャパリパークのテーマソング”っていうのがひとつの指針でしたね。で、一番最初のデモは、ピアノとベースとドラムとギターの4点で、僕が仮歌を歌っていたんですけど、たつき監督に「ちょっと都会的ですね」って言わてれたことをよく憶えていて(笑)。パークは動物たちがいるところなので、土臭さじゃないですけど、もっとサバンナ感が欲しいな、と。普通に考えたらあんまり入れない楽器だったり、動物を感じさせるようなものが欲しいっていうアイデアをいただいて。そこで思いついたのがクイーカっていう楽器で。
――アフリカのパーカッションですよね。
大石:クイーカはYouTubeで動画を2時間くらい見てやってみたら意外とできたんで、自分で演奏して入れて。あと、2番にホイッスルを入れました。体育祭のイメージなんですけど、サンバっぽい音ですよね。ド頭のホルンの音は、吉崎観音先生のアイデアだったと記憶してますけど、頭に何か欲しいよねってことを言われて。もちろん骨組みは僕が作ったんですけど、アレンジメントに関しては、本当に皆さんのアイデアの集合体みたいなところはあったかなと思いますね。
“SNS発信の偶然の塊”みたいなものが社会現象になっていった
――メロディは最初のデモからほとんど変わってないんですよね。
大石:そうですね。最初に「アップテンポで明るく、フレンズたちの元気が伝わってくる楽曲」というオーダーを頂きました。でも、だいたいのアニソンで「アップテンポ・明るく」というリクエストは頂くので(笑)。だから、ほぼほぼいつも通り書いた感じはあったんですけど、そういう力が抜けた感じが逆によかったのかもしれないです。仕掛けてやろうとか、自分のクリエイターアイデンティティをここにすべてつぎ込んでやろうみたいな、そういう気概めいたものはまったくなくて。まずその作品に合ったものを、みたいな感じで書いていったと思います。
――今となってはアニメ史に燦然と残る名曲になってます。
大石:手応えはありましたね。力まずにできたことが自分の中ではすごいことだなって思いましたし。そういう意味ではゾーンに入ってたというか、降りてきてる状態で、そのまんま肩の力を抜いて書けたのかなと思いますね。
――自然体で書けたっていうことですよね。ただ、この曲が話題になってからは、コード進行を分析して発表する人も数多く出てきました。
大石:いやぁ……ありがたかったです(笑)。結果的にそういうふうに分析していただいて。あれはもうただの結果でしかないので。
――作為的なものではなく?
大石:ないです。そのメロディと場面に合ったコード進行を使ったら、たまたまそれがたくさんの方々の興味を引いたっていうだけの話だとは思うんですけど、やっぱりアニメファンが好きなコード感や進行だったりはしたのかな。あと、当時、この曲が分析された時に話題になったのが構成ですよね。1分半、テレビサイズ89秒における構成の入れ方とか。
――「展開が多いけど破綻してないのがすごい。物語性を保ってる」っていう評価をよく耳にしました。
大石:僕が先駆者っていうわけじゃなくて、当時、界隈のクリエイターさんたちは割とみんなやってたんですよね。頭サビがあって、イントロがあって、A、B、サビがあって、大サビでアウトロのメロディで終わっていくみたいなことはいろんな方がやってはいたので、そのトレンドに乗っかったっていう感じが強いかな。だから、ぶっちゃけた話、僕が何か新しい斬新なことをしたかっていうと、そういう意識はまったくなくて。その時のトレンド感と、それまで自分が蓄積してきたグッドメロディをそのまんま出したら、たまたま作品のヒットもあって、皆さんに届いたっていう感じです。でも、ヒット曲って往々にしてそうなんじゃないかなって思いますよね。
――平井堅さんが「全部サビみたいな曲で一目惚れして買った」という趣旨の発言をしたり、星野源さんがラジオで「1日60回くらいは聴きました」とコメントしていたり、いわゆる同業者であるミュージシャンの方々からも評価が高かったことに関してはどう思いましたか?
大石:いや、もう青天の霹靂でした。たしか星野さんが一番最初に『オールナイトニッポン』でかけてくださって。しかも、シングルCDがリリースされてすぐの頃にかけていただいたと思うんですけど、あれがバズったひとつのきっかけだったと思うんですよね。一流アーティストの方がアニソンを評価してる。しかも、第1話では「このアニメはダメだ!」って言われてたようなものが、いきなり一発逆転の風が吹くっていう。その最大瞬間風速を作るためのひとつの立役者になっていただいた方なのかなというふうに思います。
——4話目くらいですかね。「わーい、楽しい!」っていうフレーズと曲の楽しさが合致して、みんなで曲を聴きながら「わーい、楽しい!」とか、「〜のフレンズだね」ってツイートするのがブームになっていました。
大石:当時は、「IQが低くなるアニメ」って言われてて。要は説明がいらない作品だっていうことだと思うんですけど、お子さんたちにも受け入れられるアニメであると同時に、実は裏の設定があって、二重構造になってる深いストーリーが面白いっていうことでしたけど、ちょうどシングルの発売のタイミングで……朝起きたらTwitterのトレンド1位にカタカナで「フレンズ」ってなってたんですよね。でも、フレンズっていろいろあるし。その時にちょうどいろんなものが重なってて、レベッカさんが再結成後に28年ぶりのツアーを発表したタイミングだったのと、『けものフレンズ』派生のものと、『一週間フレンズ』が実写化されるタイミングでもあって。いろんな「フレンズ」が混ぜこぜになって、頭1個『けものフレンズ』が抜けちゃったんですよ。なぜかは分からないですけども、そういうSNS発信の偶然の塊みたいなものが社会現象になっていったと思うと、すごい渦の中にいたんだなというふうに思いますね。