徳永ゆうきが語る、米津玄師「Lemon」カバーで感じた演歌の可能性「固定概念を覆していきたい」

徳永ゆうき、カバーで感じた演歌の可能性

今の若者が歳を取ってポップスを聴くイメージが湧かない

ーー高校2年生でNHK『のど自慢大会』に出て、演歌歌手の道を目指すようになったそうですが。

徳永:はい。小さい頃から鉄道も趣味で、もともと鉄道関係の仕事に就きたいと思って、地元の工業高校に進学したんです。それで高2の夏に、友だちに誘われて『のど自慢大会』に出場したんですけど、友だちは予選で落ちて、僕だけ残って大阪大会でチャンピオンになりました。

ーーアイドルによく聞くような話ですね(笑)。

徳永:そうですね(笑)。大阪大会にはお客さんが2千人くらいいて、大きな拍手をいただいて、生バンドによる演奏も心地よくて、すごく気持ちよかったんです。帰りに会場を歩いていると、「良かったよ!」と声をかけてくださる方がたくさんいて、「歌手ってすごいな〜。歌手っていいな〜」と思うように。それまでは趣味で歌っていた程度でしたけど、『のど自慢』をきっかけに歌手は「みなさんを笑顔にできるの最高な仕事だ」と思うようになりました。

ーー演歌歌手の方の多くは、まずは作曲家や作詞家の先生に内弟子として入ってレッスンを行い、修行をしながらデビューのチャンスをうかがうというのが、一般的です。

徳永:僕の場合は違っていて。『のど自慢』のチャンピオン大会に出た時に、レコード会社の方に声をかけていただいて、そこで事務所を紹介していただきました。だから、先生や師匠がいない、言ってみればフリーのような状態なんです。僕も最初は、誰か先生につくのだろうと思っていたので、こういうやり方でも演歌歌手になれるんだなと、自分でも少し意外でした。デビュー曲「さよならは涙に」は、BEGINの比嘉栄昇さんの作詞作曲で、どちらかと言うと青春歌謡といった雰囲気の曲なんですけど、爽やかな船出の気持ちを歌ったものになりました。衣装も水兵さんのセーラー服で、初めてこの衣装を着ると聞いた時は、「あれ? ふざけてはるのかな?」と思いましたけど(笑)。今でこそこうして冗談めかして話せますけど、当時は嫌とは言えず……。

ーー嫌だったんですね。

徳永:(笑)。子どもの頃におじいちゃんとテレビで観た、三波春夫さんが、僕にとっては憧れの存在で、すごくきらびやかな着物で、明るい笑顔と堂々とした立ち居振る舞い、歌声、すべてが格好良くて。「これぞ日本の心やな」と感動しました。だから自分が演歌歌手でデビューする時は、着物かスーツで歌うものだと信じて疑っていなくて。だから水兵さんの衣装を持って来られた時は「え!?」でした。でも振り返ると、それが見た目的にもインパクトを与えて、たくさんのみなさんに覚えてもらうきっかけになりましたね。街を歩いていても「水兵さんの歌手の方ですよね」と声をかけていただいて、みなさんの記憶に残る作品になったと思います。

徳永ゆうき - 平成ドドンパ音頭

ーー次にリリースした曲「平成ドドンパ音頭」も、THE BOOMの宮沢和史さんの作詞作曲でした。

徳永:そうです。衣装もハッピで、「あれ? また着物かスーツじゃないんだ」って(笑)。

ーーアルバム『ゆうきのうた-故郷編-』には、演歌だけでなく井上陽水さん、BEGINさん、松山千春さん、さだまさしさんなどのカバーも収録。演歌歌手ではあるけれど、非常にポップス寄りの演歌歌手というか。

徳永:当時のディレクターさんの考えで、いきなりド演歌に行っても年配の方にしか聴いてもらえないかもしれない。老若男女問わず知っている方に曲をお願いして、まずは幅広い世代の多くの方に知ってもらおう、と。デビュー曲を比嘉さんにお願いしたのは、僕の両親が鹿児島の奄美大島出身で、ルーツは島だからということで、石垣島出身の比嘉さんなら通じるものがあるだろうという理由もありました。

 それをきっかけに、BEGINさんが主催している『うたの日コンサート』にも出させていただいて。そこでは演歌よりもガッと年齢層が下がったお客さんの前で歌わせていただいて、インパクトを与えることができました。きっと1曲目から着物やスーツをビシッと着てド演歌で勝負していたら、年齢層も高くなって、今のような状況とはまったく違ったものになっていたかもしれないです。

ーーすでに演歌を聴いてくれる人は、年配であれたくさんいるわけで。そこで、あえて演歌を聴かない若い人に演歌を聴いてほしいと思うのは、どういう部分でそう思うんでしょうか?

徳永:演歌はもう廃れるんじゃないかと、何十年も前から言われていますけど、やっぱり演歌は日本人の心や営みを歌ったもので、日本にしかない音楽ジャンルなので、後世に残っていってほしいんです。実際、毎年演歌の若手がデビューして、「廃れる」と言われながらも、何とか生き残ってきている。これはきっと、日本人の耳には、演歌がいちばんしっくりくるからなんじゃないかなって、自分の中では思っています。

 それに今の若い方が60代や70代になって、今どきの歌を歌っているのかと言ったら、あまりイメージできなくて。やっぱりその年齡になったら、演歌を聴いてるイメージしか湧いてこない。番組で共演させていただいたタレントさんからも、「徳永くんの歌を聴いて、演歌に興味を持って、最近聴いています」とか「やっぱり演歌っていいよね」とか、言ってくださる方がいて。きっと人生のどこかで、「演歌っていいな」と思うときが必ずくると思うんです。それなら若い方にも、すこしでも早いうちから、演歌の素晴らしさ、歌詞の素晴らしさに気づいてもらいたいなって。

徳永ゆうき 「津軽の風」 (2017年1月25日CD/カセット発売)

ーー演歌で表現される日本人の心の歌というのは、具体的にはどういったものがありますか?

徳永:たとえば男女の別れの歌もありますし、故郷を思う歌、旅をテーマにした歌、「旅情演歌」や「津軽演歌」など、さまざまな種類があります。「股旅演歌」という、三度笠をかぶって全国を旅歩く世界観もあって、これは演歌でないと表現できないものですね。

ーー木枯し紋次郎とか、子連れ狼のような世界観ですよね。

徳永:そう。おじいちゃんと時代劇をいつも観ていたから、僕自身そういう世界観に惹かれるところがあるのだと思います。

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