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丘みどりが語る、エンターテインメントとしての演歌の可能性「“非現実感”を楽しんでほしい」

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 昨年末の『第68回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし、アイドル出身という経歴も手伝って、一躍注目を浴びる存在になった演歌歌手の丘みどり。昨年リリースした『佐渡の夕笛/雨の木屋町』は、演歌としては異例の10万枚を突破。3月にリリースした『鳰の湖/伊那のふる里』も好評を得て、7月に「霧の川」などを加えた新装盤をリリースした。彼女のコンサートやキャンペーン会場では、グリーンのTシャツを着た熱狂的なファンが声援を送り、一方でクイズ番組やバラエティ番組に出演して、女子高生の制服姿を披露するなど、お茶目でくったくのないキャラクターが話題だ。美人演歌歌手としても知られ、演歌界の新星として期待を担う、丘みどりは、自身が惚れ込む演歌の魅力について「演歌は様式美の音楽。ひとつの小説を読むように、非現実のストーリーを体験してほしい」と話す。観ればハマる、丘みどりが目指す“ミステリアス演歌”の神髄とは?(榑林史章)

苦節13年を支えたのは悔しさとファンの存在 

ーーもともとは丘さんのおばあさんが演歌好きで、その影響で演歌歌手を志したそうですね。

丘みどり(以下、丘):はい。地元は兵庫県のすごく田舎なんですけど、近所のホールに演歌歌手の方がくると、祖母が必ず連れていってくれました。それで幼稚園の時に初めて観た、鳥羽一郎さんのコンサートにとても衝撃を受けたんです。当時私は民謡を習っていて、音楽と言えば民謡しか知らず、発表会でも太鼓と三味線のお囃子を伴奏に歌っていたんです。でも演歌の伴奏は迫力のある生バンドで、その演奏に感動したし、その中心に立って微動だにせず歌っている鳥羽さんの姿が、これ以上ないくらい格好良くて。その時に大きくなったらこんな風にまんなかに立って、一人で演歌を歌える人になりたいと思ったんです。

ーー幼稚園で、鳥羽一郎というのは渋い子どもだったんですね。それくらい、すごい衝撃を受けたということでしょうか。

丘:鳥肌が立ったことを覚えています。「すごく格好いい!」と思って、すぐ祖母に「私も大きくなったら、こういう演歌の歌手になるから見ておいてね!」って約束をして、その夢を叶えたい想いで演歌歌手を志しました。それに祖母だけじゃなく両親も演歌が大好きで、リビングとかでもずっと演歌が普通に流れている家だったので、私のなかで歌手と言えば演歌で、「何で演歌だったんですか?」とよく聞かれますけど、私のなかに違和感はまったくありませんでした。

ーー演歌歌手としてデビューする前の10代の頃は、アイドルをやられていたそうで、この話はすでに有名ですね。

丘:アイドルとは名ばかりで、歌ったりすることは一切なかったですけどね(笑)。基本的にはバラエティ番組で、体を張ったロケばかりでした。ディレクターさんがすごく怖くて、理不尽に怒られることもすごく多くて。でも今思えば、メンタルが鍛えられたし、芸能界とはどういうところなのか教えてもらったと思っています。

ーーそして念願叶って21歳の時に、演歌歌手の丘みどりとして「おけさ渡り鳥」でデビューしました。しかし、ヘソ出しミニスカートの衣裳だった。

丘:すごく嫌でしたね。小さいころから演歌歌手の方を見てきて、演歌歌手=お着物というイメージで、それ以外の衣裳で歌うことが考えられなくて。それでも「あなたの衣裳はこれです」と、ヘソ出しミニスカートを渡されてしまったので、仕方なくという面もあって。アイドルをやっていた時以上に「これは大変な世界にきてしまった」と、正直思いました。

ーーでも男性の演歌ファンは喜んだのでは?

丘:それが、思惑はそれほど当たらなくて(笑)。賛否両論で、「演歌はそんな格好で歌うものじゃない」という意見がたくさん寄せられました。それにスナックやカラオケ喫茶に歌いに行くと、お店の女性のほうがよほど綺麗なドレスを着ていて。「歌手なのにそんなしょうもない衣裳を着て」と言われてしまって。歌を聴いてもらう以前の段階で否定されて、なかなか歌を聴いてもらう段階までいけなかったことが、とにかく悔しかったです。

 あと悔しかったのは、人がたくさんいるパーティー会場とかで、みんなステージを観ず食事やおしゃべりをしていて、歌を聴いてもらえなかったことですね。「私はここで歌ってますよ!」とアピールして歌うんですけど、誰もこっちを向いてもらえなくて。いつか私が歌えばみんながふり向いてくれる歌手になりたいと、すごく思うようになりました。

ーー歌を聴いてもらえれば納得してもらえる自信はあるのに、その歌を聴いてもらえる状況ではなかった。そういう悔しさが、バネになったわけですね。そうして2016年に上京し、レコード会社と事務所を一新。「霧の川」が、オリコンの演歌・歌謡シングルチャートで1位を獲得しました。

丘:その前年がちょうど30歳で、デビュー10年という区切りの時期でもあったし、一度東京に出てチャレンジしてみて、これでチャンスが掴めなかったら、もう辞めようと思っていたんです。もともと私は人見知りのマイペースな性格で、人の懐にガッと入っていけるタイプでもなかったんですけど、そんなことを言っていても仕方がないと思って、知り合いの人全員に「事務所を紹介してください」とお願いをして。そんな中で、手を挙げてくださったのが今の事務所とレコード会社でした。

 上京してからは、環境も状況も一変しました。それ以前の10年は仕事がしたくてもない状態で、お休みもたくさんあって。だから、「もう十分休んだので、これから先の10年はお休みはいらない。詰め込めるだけスケジュールを入れてください」とマネージャーさんにお願いをして、とにかく日々、いろんなところで歌い続けました。それにしても詰め込まれ過ぎていて、若干後悔した時もありますけど(笑)。でもそのおかげもあって、『紅白歌合戦』出場という夢を叶えることができたと思っています。

ーー昭和の時代は、歌手の方がレコード屋さんの店頭で、ビールケースの上に立って歌うことがよくあったと聞きます。さすがに今は、そういうキャンペーンはないですよね?

丘:今でも普通にありますよ。でも確かに、店頭でビールケースの上に立って歌うようなことは、演歌特有のことかもしれませんね。というのも、演歌は大きなCDショップだけではなくて、個人経営のレコード屋さんにも歌いに行くんです。そういうお店では、単純にステージを組むスペースがないので、お客さんを入れると私のスペースはビールケース分くらいしか残っていないんですよ。昔よりもだいぶ減りましたけど、今でもやっていらっしゃるお店はまだたくさんあって。そういうお店には、本当に古くからの演歌ファンの方が集まってくださいますので、そういう場所で歌う機会は大事にしています。

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