映画『MOTHER FUCKER』特別対談:Less Than TV代表と監督が語る“異色”レーベルの歴史

映画『MOTHER FUCKER』特別対談

 1992年の立ち上げ以来25年に渡ってアンダーグラウンドで活動を続ける音楽レーベル〈Less Than TV〉の代表・谷ぐち順とその妻YUKARI、息子共鳴(ともなり)と、その仲間たちの現在の姿を追ったドキュメンタリー映画『MOTHER FUCKER』が、8月26日より渋谷HUMAXシネマから劇場公開される。その公開に先立ち、今回リアルサウンドでは『MOTHER FUCKER』についての対談特集を企画。前編となる今回の対談では、〈Less Than TV〉の歴史やあり方から、いかに同レーベルが異色で興味深いレーベルなのかを聞くことができた。(編集部)

 情熱を注げたのは悔しかったから(谷ぐち順)

一一大石さんが〈Less Than TV〉を知ったのはいつ頃だったんですか。

大石規湖(以下、大石):あ、今日CD持ってきたんですよ。(fOULとbloodthirsty butchersのスプリット盤を出す)15年くらい前ですけど、ほんと衝撃だったんですね。私は海外の音楽ばかり聴いてた時期なんですけど、このスプリットをきっかけに日本のハードコア・パンク格好いいなと思って。で、ライブを見てはいろいろ買っていくと、だんだんCD棚に〈Less Than TV〉っていうのが増えていくんですよ。「〈Less Than TV〉って何だろう?」と思うようになって。それがファースト・インパクトですね。

谷ぐち順(以下、谷ぐち):……なんか今の話怪しいなぁ。インタビュー用でしょ?

大石:いやいや、ホントですよ(笑)! 

一一レーベルは1992年に始まっていますよね。谷ぐちさん主導というわけではなく、バンド仲間みんなで始めたものだとか。

谷ぐち:はい。今もそうですけど〈Less Than TV〉はみんなでやってるんですよ。集まって、お互い好きなバンドの話をして、声を掛け合って。ライブ見て格好良かったバンドには話しかけるじゃないですか。ライブ終わったらすかさず友達に電話するし。こないだもSTRUGGLE FOR PRIDEのギターのグッチンから「谷ぐちさん、she saidって知ってますか?」「いや知らない」「今見たけどめちゃくちゃ格好いいんでチェックしてください!」って電話がきて。そういう情報をみんながくれるし、俺もみんなに教えるし。

大石:え……昔はそんなノリでやってたんですか?

谷ぐち:いや、今もそういうノリです。で、当時はそういう繋がりから、なんとなくシーンみたいなのができ始めてた頃なんですね。U.G MANの河南さんとかDMBQの増子真二とか、何人かで「やっぱり格好いいシーンには格好いいレーベルがあったほうがいいよね」ってことで始まったんですよ。

谷ぐち順氏

一一レーベルは、みんなのアンテナの情報が集まるデータベースみたいな感じで機能していたんですね。

谷ぐち:そうです。今もそこは変わらないです。

一一自分たちで作ることに、どれくらい情熱を注いでいましたか。既存のレーベルに所属するという考えはなかったんでしょうか。

谷ぐち:いや、当時はレーベルもないしCDなんてどうやって作ったらいいんだって思ってた。今なら簡単に格安で作れますけど、そんなのまったくなかったし。だから仕方なく、でしたよね。自分たちでやるしかリリース方法がなかった。あと、情熱を注げたのは悔しかったからでもありますね。ライブは行くし、凄いものいっぱい見てるんですよ。たとえばSUPER DUMBの初期の音がめちゃくちゃヤバくて、でもリリースもないままメンバーが抜けて、違う音楽性になっていく……とか。そういうのが頻繁にあったんですね。これはちょっともったいなさすぎる、自分たちでリリースしなきゃなって。

大石:自主で出す例も当時はあまりなかったんですか?

谷ぐち:いや、もちろん自主制作っていう言葉とか、正統派のハードコア・レーベルはあったと思います。ただ、自分たちみたいなバンドを出してくれるところはなかったんですね。今でこそオルタナとかポスト・ハードコアって言葉も普通にありますけど、当時はとにかくはみ出してるだけ。みんな「変な音楽」とか「どっちつかず」みたいな感じで。だから相手にされない時間、めちゃくちゃ長かったですよ。今も相手にされてるかどうかわからないですけど(笑)。雑誌とかでレーベル特集されてディスコグラフィーが並ぶの、けっこう夢でしたもんね。それさえ10何年ずーっとなかった。レーベルとしてもそこまで認識されてなかった。

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