矢野顕子+TIN PANは「現在進行形のロックバンド」だった 『さとがえるコンサート』レポート

矢野顕子+TIN PANが見せたロックバンドとしての姿

 1976年7月25日に1stアルバム『JAPANESE GIRL』でデビューしてから、今年で40年を迎えた矢野顕子が、年末恒例のツアー『さとがえるコンサート2016 矢野顕子+TIN PAN』を開催した。

 朋友・糸井重里がネーミングしたこのツアーは、1990年にアメリカへと移住した矢野が、毎年日本に里帰りして行なっているもの。1996年の初回から7年間は、アンソニー・ジャクソン(ベース)、クリフ・アーモンド(ドラムス)とのピアノトリオでの演奏だったが、以降は小田和正や森山良子、忌野清志郎をゲストに迎えたり、上原ひろみを帯同したり、yanokami(矢野顕子と故・レイハラカミから成るユニット)名義だったりと、回ごとに共演者が変わっていた。が、2014年からは、TIN PANの細野晴臣(ベース)、林立夫(ドラムス)、鈴木茂(ギター)を率いたバンド編成に。今年で3回目となる。

 TIN PANは、細野、林、鈴木の3人に松任谷正隆(キーボード)を加えた4人で結成された音楽ユニット(佐藤博が参加)。元々は「キャラメル・ママ」名義で活動していたが、1974年に「ティン・パン・アレー」に名前を変更する。これは、ニューヨークにかつて存在し、ジョージ・ガーシュインら有名な作曲家や演奏家が多く集まっていた一角の呼称が由来で、バンドというよりも「音楽家集団」と言った性格が強く、荒井由実(松任谷由実)、雪村いづみ、いしだあゆみなどの演奏や、アルバム・プロデュースで知られていた。矢野とは『JAPANESE GIRL』のレコーディングに参加する以前、キャラメル・ママ時代から多くのライブやスタジオ現場を共にしてきた関係である。2枚のオリジナル・アルバムを残したあとバンドは自然消滅するも、2000年に「Tin Pan」名義で復活。矢野の2002年のアルバム『reverb』にも、現在の3人で参加している。

 そんな矢野顕子+TIN PANが、4人でツアーをするのは『さとがえるコンサート』が初。それもあってか、矢野顕子がメインでありつつも、Tin Pan関連の楽曲も数多くセットリストに組み込まれ、メイン・ボーカルもその都度入れ替わり、このメンバーでの新曲も用意されている。「シンガー+バックバンド」というよりは、「新編成のバンド」として観た方がしっくりくるようだ。

 筆者が観たのは、ツアー4日目(12月18日)となる東京・NHKホール。オープニングは矢野が一人で登場し、「ひとつだけ」と「電話線」をピアノ弾き語りで披露する。
 
「みなさん、こんばんは。今年もこうして帰ってこられて、本当に嬉しく思います」と満面の笑顔で挨拶したあと、Tin Panの3人を呼び込み「丘を越えて」(藤山一郎が1976年にリリースした昭和歌謡。矢野とTin Panは『JAPANESE GIRL』でもカバー)と、はっぴいえんどの「暗闇坂むささび変化」(『風街ろまん』収録)をメドレーで演奏。続いて鈴木の「TOKYO・ハーバーライン」(2ndアルバム『LAGOON』収録)、細野の「香港Blues」(3rdアルバム『泰安洋行』収録)と、矢野以外のリード・ボーカル曲が続く。『泰安洋行』も『JAPANESE GIRL』同様、今年でリリース40周年を迎える。

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 矢野が、「この曲、もう40年も演奏してるんだね」と細野に振ると、「そうだね。ずーっと演奏してるけど、全然飽きない。自分の曲じゃないからかな」と返し、会場を沸かす(「香港Blues」は、「我が心のジョージア」で知られるホーギー・カーマイケルの44年のオリジナル曲「Hong Kong Blues」のカバー)。昔馴染みの仲間たちの和やかなやり取りに、こちらまで温かい気持ちになる。

 「私、世界でいちばん細野さんの曲、はっぴいえんどの曲をカバーしてると思うよ」と言いながら、「12月の雨の日」(原曲は大瀧詠一がリード・ボーカル)を矢野が歌い、バッファロー・スプリングフィールド時代のニール・ヤングを彷彿させる、鈴木の鋭利なギターが宙を切り裂くと、会場からはどよめきににた歓声が上がった。さらに、ただただ「野球が好きだ」ということを歌った、ロッカバラード調の新曲「野球が好きだ」(作詞は糸井重里)、鈴木茂が1stアルバム『バンドワゴン』に収録した「100ワットの恋人」と続き、前半は終了した。

 20分の休憩を挟んでの後半。ドレスに着替えた矢野が登場し、ステージ上のミラーボールが回り始めると一気に妖艶な雰囲気となる。ピアノを弾かず、踊りながら「Rich Woman」(ロバート・プラント&アリソン・クラウス)を、ビブラフォンを弾きながら「Havana Moon」(チャック・ベリー)を歌う。

 「Tin Panとだったら、何だってできるね!」と矢野が楽しそうに言ったように、『さとがえるツアー』ならではの演出といえるだろう。

 ここで、特別ゲストの岸田繁(くるり)が登場。矢野と2人で「PRESTO」(2006年のコラボシングル)を歌い、さらにTin Panの3人を交えてくるりの楽曲「Remember me」、「東京」を演奏すると、場内からはひときわ大きな歓声が上がった。「東京」は、90年代UKインディ〜USオルタナにインスパイアされたくるりの初期衝動的な1stシングルだが、細野のメロディックなベースや林のタイトなドラミング、そして鈴木の職人的なギター・アプローチが加わることによって(矢野はオルガンで控えめにサポート)、この楽曲にある深みや厚みがグッと引き出されていた。

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 途中、「ほうろう」(小坂忠のカバー)と「抱きしめたい」(はっぴいえんど)の曲順を、矢野が間違えるというオチャメなハプニングも挟みつつ、「Super Folk Song」のアンサー・ソングで、歌詞に登場するカップルのその後を歌った新曲「Super Folk Song Returned」を披露し、矢野の代表曲「ごはんができたよ」で本編は終了。アンコールでは、三線(沖縄の楽器)を抱えた岸田も再び加わり、細野の「Roochoo Gumbo」(『泰安洋行』収録)を演奏したあと、中央に置かれた椅子に矢野、細野、鈴木が座り、林がブラシでリズムを取りながら「Blue Moon」(1934年に生まれたスタンダード曲)と細野の「ろっか・ばい・まい・べいびい」(『HOSONO HOUSE』収録)をカバー。このクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングを彷彿とさせるパフォーマンスは、矢野がこの日に決めたものだという。客席とステージの距離がグッと縮まり、親密な雰囲気の中すべての公演が終了した。

 「さとがえるコンサート」と銘打ち、矢野のデビュー・アルバム『JAPANESE GIRL』と、細野のサード・ソロアルバム『泰安洋行』のリリース40周年というメモリアルな要素も含みつつ、旧知の仲間とお互いの楽曲を演奏し合う。にも関わらず、いわゆる懐古的な要素は皆無。新曲を2曲も加え、過去曲も最新のアレンジで演奏する姿は、まさに「現在進行形のロックバンド」だった。

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(写真=Susie)

■黒田隆憲
ライター、カメラマン、DJ。90年代後半にロックバンドCOKEBERRYでメジャー・デビュー。山下達郎の『サンデー・ソングブック』で紹介され話題に。ライターとしては、スタジオワークの経験を活かし、楽器や機材に精通した文章に定評がある。2013年には、世界で唯一の「マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン公認カメラマン」として世界各地で撮影をおこなった。主な共著に『シューゲイザー・ディスクガイド』『ビートルズの遺伝子ディスクガイド』、著著に『プライベート・スタジオ作曲術』『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインこそはすべて』『メロディがひらめくとき』など。

■オフィシャルサイト
http://www.akikoyano.com/

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