宇多田ヒカル『Fantôme』、国内外で大反響ーーグローバルな音楽シーンとの“同時代性”を読む

 「ともだち with 小袋成彬」も刺激的な曲だ。NHK『SONGS』のインタビューでも告げていたように、同性愛をテーマにした一曲である。シンプルなビートとアコースティック・ギターのサウンドに、色気あるファルセットを響かせる小袋成彬と溶け合うようなハーモニーを聴かせる。彼と宇多田ヒカルも曲のテーマについて深く語り合った上でコラボレーションを果たしている。これまでほとんどのコーラスレコーディングを一人で完結していた宇多田ヒカルにとっても、初めての試みと言えるだろう。フランク・オーシャンもゲイであることをカミングアウトしているが、この曲のテーマは音楽シーンだけでなく、世界中でLGBTのあり方が問われるようになり、性的指向をよりオープンにする生き方が選択されるようになりつつある潮流を反映していると言えるかもしれない。日常から非日常に誘うスリリングな関係を描く「二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎」での宇多田ヒカルと椎名林檎の絡み合う歌声にも、単なる不倫というだけでなく、どこか同性愛的なイメージも感じ取ってしまう。

 「ともだち with 小袋成彬」では、<胸の内を明かせたら いやそれは無理>という一節に自嘲気味の笑いを忍ばせる歌い方にもハッとさせられる。改めて感じ入るのは、歌の世界観を「演じる」宇多田ヒカルの徹底した振る舞いだ。それが鮮やかに見られるのが「俺の彼女」。すれ違う男女の性愛を描いたこの曲では、「クールな俺」と「あなたの好みの強い女」という二人の登場人物をはっきりと歌い分けている。下降するラインをたどるアコースティック・ベースが印象的で、生音の響きが大きなポイントだ。

 今回のアルバムにおいては、ピアノやストリングスやアコースティック・ギターの生音が大きな存在感を持つ曲が多い。ひょっとしたらアデルを想起する人も多いのではないだろうか。実際、「道」や「俺の彼女」など大半の曲は、アデルやサム・スミスのレコーディング・エンジニアを担当したスティーブ・フィッツモーリスがレコーディングとミックスを手掛けている。繊細な生音の響きと歌の表現力を封じ込める録音術としては、宇多田ヒカルのプロダクションも、アデルやサム・スミスに並ぶワールドクラスの仕上がりになっていると言える。

 宇多田ヒカルは圧倒的な「個」の才能だ。『Fantôme』というアルバムのテーマも、母と彼女の間のパーソナルな関係が軸になっている。しかし、そのサウンドには、やはり当たり前に世界中の同時代的な音楽シーンの潮流と呼応するようなセンスが息づいている。たとえば宇多田が先述のインタビューで「最近好んで聴いていたもの」として挙げていたライ、ホット・チップ、ディアンジェロなども、それぞれのやり方で音楽に宿る「ソウル(=魂)」をアップデートするような試みを成しているミュージシャンたちだ。「日本語のポップス」であることを貫きながら、世界中の先鋭的なミュージシャンたちとの呼応も感じられる。

 かつて、Utadaとして全米デビューを果たした宇多田ヒカル。その時の彼女の動きは「海外進出」と喧伝された。しかし、よくよく考えると、「進出」という言葉は、もはや、今の時代感覚とはズレてしまっているような気すらする。かつては「国内」と「海外」、つまり「内(=日本)」と「外(=英米)」のシーンの間には大きな壁が意識されていた。しかしSpotifyやApple Musicを日常的に使ったり、その各国チャートを見るようになって思うのは、日本という国も、英米以外のヨーロッパやアジアや南米の各国と同じように、グローバルに広まるポップカルチャーと特殊な自国カルチャーが混じりあう一つの国でしかない、ということ。

 宇多田ヒカルが素晴らしいアルバムを作り上げたこと、そしてそれが世界的にも躍進していることは、J-POPという文化が発展してきた一つの成果と言えるだろう。

 しかし、だからこそ、今回の宇多田ヒカルの新譜を手に取った沢山のリスナーが、日本の音楽シーンだけでなく、先鋭性とポピュラリティを兼ね備えたグローバルなポップ・ミュージックの潮流にアンテナを張るようになると、この先の日本の音楽がもっと面白くなるような予感がする。

■柴 那典
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンを経て独立。ブログ「日々の音色とことば:」Twitter

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