矢野利裕『SMAPは終わらない 国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」』発売記念
SMAPとはどんなアイドルか? 中森明夫×矢野利裕が激論交わす
ジャニーズ文化の根源に迫った『ジャニ研!』(原書房)の著者の一人である、批評家・矢野利裕による書籍『SMAPは終わらない 国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」 』が、本日8月9日に発売される。
2016年1月、日本全体を揺るがしたSMAP解散騒動。『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)でのメンバー謝罪会見を端に、矢野氏が執筆したコラム「SMAPは音楽で“社会のしがらみ”を越えるか? ジャニーズが貫徹すべき “芸能の本義”」の反響を受け、この度緊急出版。世界にひとつだけの「SMAP」の存在と今後を、音楽と芸能から紐解いた“SMAP論”の決定版となっている。
当サイトでは本書の発売に先駆けて、第四章「世界に一つだけの場所・にっぽんのアイドル論」の一部を抜粋して掲載する。本章では、作家でアイドル評論家の中森明夫氏を迎え、ジャニーズ・アイドルや芸能についての広範な議論が交わされた。(編集部)
「90年代は稲垣吾郎が最もジャニーズらしくないメンバーだった」(中森)
(第四章 世界に一つだけの場所・にっぽんのアイドル論より「スター性を放棄/獲得したSMAP」抜粋)
中森:『ジャニ研!』はとくに音楽中心に多岐に渡って論じているけど、ジャニーズ・ファンについてはどうなの? つまりアイドルの文化は基本的にファンとの関係性でできてるものじゃないですか。僕は『アイドルにっぽん』で書いたんだけど、アイドルの定義は日本国憲法第一条だという持論があって。天皇は国民統合の象徴である。この天皇がアイドルで、国民がファンなんだと。主権は国民=ファンの側にある。そこが戦前の帝国憲法と違う。天皇は神聖にして侵すべからず。帝国憲法の天皇はスターですね。アイドルじゃなくて。するとジャニーズ・アイドルにとってのファンとは何だろう?
松本美香さんという女芸人の『ジャニヲタ女のケモノ道』(双葉文庫)という本があって、その文庫解説を僕が書きました。彼女が面白いのは、いったん年を取ってジャニーズ・ファンを辞めるのね。もともと光GENJIが好きだったんだけど、卒業する。卒業してからは「ジャニーズかっこ悪い」みたいなことになって、どこに行ったかというと渋谷系に行く。フリッパーズ・ギターのファンになってオシャレ系に目覚めたんですよ。そうなったとき、ジャニーズは一番かっこ悪い存在なんだって。ところが、そこで面白いのは『Olive』に稲垣吾郎が出たと。そこでビックリした。彼が“ジャニーズっぽくない”から素晴らしいということを発見するんだよね。『Olive』の吾郎ちゃんのインタヴュー記事を読んで仰天するわけ。「洋服ではギャルソンが好き」、「お気に入りの映画は『ポンヌフの恋人』」、「U2聴いてます」。そういうタイプのジャニーズがそれまでいなかったんですよ。それで結局、彼女はまたジャニーズに回帰していく。つまり当時(90年代)は稲垣吾郎が最もジャニーズらしくないメンバーだったと。
矢野:そこで語られている稲垣吾郎及びSMAP像は、すごく象徴的ですね。SMAPらしさを考えるとき、90年代のいわゆる渋谷系周辺のカルチャーは無視できません。SMAPは例えば、ビーチ・ボーイズ『ペット・サウンズ』のアルバムジャケットをパロディに用いるなどしていて、そういう90年代の空気感と完全に共振していました。だから、ジャニーズ・ファンを降りて渋谷系に行った人が、そこからSMAPを通じてまた帰ってきたという話はすごく面白いですよね。ジャニーズ・ファンのありかたで言えることがあるとすれば、宝塚に似ているということですね。つまり、「親衛隊」化していく。
中森:ファンをコントロールしているんだよね。宝塚もすごいでしょ、実は。ファンがファンを組織して、ファンの間にルールがあったり。
矢野:そうそう。加えて言えば、そうやってファンが組織化されていくことで、スター性が担保されていくんですよね。ファンのなかで神話が生成されていく。だから、ジャニーズにおいては情報をダダ漏れにすることは、基本的にありません。
中森:ただそれも、ある程度SMAPが変えたわけじゃないですか。それまでにあったジャニーズの何カ条みたいなものね。私服は発表しないというのを私服で出てきたりとか、ジャニーズ内のことを語らないというのをどんどん突破していったっていうことなんだよね。明らかに変えたというかさ。
矢野:SMAPが面白いのは、スター性を放棄したがゆえにスター性を獲得したということです。それは90年代という時代ともかかわっていると思うんだけれども、本当に特異だと思います。ジャニーズとしてのスター性を保持し続けているように見えるのだけど、そこで獲得されているものは、従来的なスター性とも異なる感じがする。「世界に一つだけの花」の歌詞は、それをすごく象徴していますよね。必ずしも「ナンバーワン」ではないけれど、「特別なオンリーワン」ではある。僕からすると、それはまさに渋谷系のレア・グルーヴの話と一緒に思えます。それまでの価値観を転倒しながら、新しい価値観を生きている。でも、それまでの価値観との連続性もある。SMAPにおけるスター性は、そういう意味で本当に唯一無二だと思います。あのスター性はいったいなんなのだろう。いわゆる握手会的な親しみやすさとまではいかないけど、親しみやすさがあるのは間違いない。欺瞞に満ちたわざとらしさからは脱している。誰に似ているんだろうとよく考えるのですが、例えばナインティナインとかかもしれない。
中森:お笑い芸人の方が良いってことだよね。音楽とかそっち側じゃなくて。
矢野:僕が中居くんのファンになったのは『めちゃイケ!』がきっかけなんです。ナイナイの岡村隆史がSMAPのコンサートに乱入するという企画があって、そこで中居くんと2人で踊っていたんです。岡村は、当時ダウンタウンが出てきてドタバタした動きがやや低く見られていたときに、すごく喜劇的な振る舞いをしていました。小さい体でキビキビ動く姿はエノケンのようです。そんな彼が中居くんと一緒にかっこいいブレイク・ダンスをしているという、その姿に喜びを感じたんです。歌ったり踊ったりする喜劇的身体の気持ちよさを目の当たりにしました。
中森:でもそれって先祖返りした感じになっていない? ダウンタウンはただ突っ立ってローテンションで漫才をやることでモードを変えたけど、その前のエノケンとかドリフとかクレージー・キャッツとか、むしろ日本の喜劇人はああやって歌ったり踊ったりするのが普通であって。
矢野:そうですね。ただ当時の僕は、ドリフターズが音楽をやっていたことも知らなかったし、そういう発想がなかったもので。あと、先祖返りというよりは再発見と言うべきかもしれません。ナイナイに関して大事だと思うことは、コミカルな動きが現代的でヒップホップ的だったということです。岡村の動きはたしかに喜劇人的なものがあるのですが、ヒップホップの成分が色濃い。僕のブレイク・ダンスとかヒップホップへの関心とお笑いへの関心が、ナイナイにおいて結びつくことが大事だった気がします。そして、そのさきに中居くんもいた。よく考えるのは、自分はビートルズよりプレスリーのほうが好きなのではないか、ということです。なんか腰を振って歌っているとか、そういう身体の動きをともなったステージングに魅了されます。
中森:ビートルズって東京のライブでは突っ立っているだけに見えるもんね。今あれが激しかったというのがもうわからない。
矢野:SMAPは、昔ながらの喜劇的な芸能の文脈を受け継ぎつつ、でも格好はジーンズであるとか、昭和の芸能と平成以降の芸能のハイブリッドといった印象がします。そのハイブリッドな感じが魅力であることは間違いないのですが、しかし同時に位置づけづらいところでもあります。