小金井市の女性シンガー襲撃事件で考えるべき論点 香月孝史が各メディアの報道を整理する

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 今月21日に東京都小金井市で起きたシンガーソングライターの女性への襲撃事件は、詳細が明らかになるにつれて、事件の性質をどこに見出すべきかの議論が徐々に広がってきた。それによって明らかになったのはまた、この事件が浮かび上がらせたリスクの性格がなかなかすぐに整理される方向に向かわず、特定ジャンルへの古典的なステレオタイプに落とし込まれてしまうという論点の混乱だった。

 被害者が第一報で「アイドル」と説明されたことで、事件の原因を「アイドル」というジャンルの特性に求める議論が相次いだ。その後、報道機関によっては、被害者の経歴を踏まえて「ソロシンガーとして活動する大学生」等として説明されるケースもみられ、あるいは24日夜のTBSラジオ『荻上チキ・Session-22』では「女子大学生襲撃事件から考える、ストーカー被害にどう対処すればいいのか?」とテーマ設定がなされ、事件の性質をストーカー被害として整理しなおす動きも生じている。

 そうした整理があらわれてきた背景には、事件の原因を「アイドル」というジャンルの特性に求めるような議論への違和感があったはずだ。「アイドル」という言葉は、そのポピュラーさゆえに「誰でも知っている(≒語れる)もの」として認識されやすいと同時に、「マニアックなジャンル(≒一部愛好者のための“よくわからないもの”)」としても扱われる両義的な単語である。ポピュラーな単語であるだけに「アイドル」という言葉に引っぱられた議論が生まれがちになり、また少なからぬ人にとって「他人事」であるゆえに、その議論はアイドルへのステレオタイプな印象に終始しやすい。今回の事件報道直後、アイドルとの「距離の近さ」を前提にした「特典商法」への考察や是非に論点が収斂し、ときに「昔のアイドルは遠いものだった」式の批評へと話が流れていく場面がしばしば見られ、メディアによってはその傾向は引き続いている。

 先述の『Session-22』にも出演していた吉田豪氏が同番組内やウェブ上で繰り返し説明しているように、まず実情としてとらえるならば事件の被害者を、ジャンルとしての「アイドル」に当てはめるのは適切ではない。まして、「アイドル」という単語に引きずられて、“地下アイドルの実態”への探求を続けることに実効性はない。

 ここで重要なのは、このような論点の整理がなされるのは、今回の事件の被害者が「アイドルではない」という主張それ自体を強調するためではないということだ。「アイドルとファンの近さ」のような、ありがちなステレオタイプに議論が収斂することで、この事件によって示されるリスクの所在がぼかされてしまう。そのことへの異議申し立てとして、吉田氏らの説明はある。先に触れたようにこの事件はまず、ストーカー被害・加害の問題として論じられる必要があるはずだ。そしてまた、芸能カテゴリーとしての「アイドル」であるかどうかにかかわらず、もっといえば芸能活動であるかにかかわらず、広義のスポットライトを浴びる(可能性を持つ)職業・活動をしている人々が常に持ちうるリスクの性質としてとらえるべきものだ。

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