小金井市の女性シンガー襲撃事件で考えるべき論点 香月孝史が各メディアの報道を整理する

 芸能活動に代表される、パフォーマーとオーディエンスによって成り立つ活動についていえば、パフォーマーの知名度や規模、活動段階にかかわらず、受け手からの強い思い入れが喚起されやすい関係性といえる。その中でパフォーマーと受け手の感情がいちじるしく不均衡になることも珍しくはないだろう。しかし、そうした強い感情と、凶行に走ることとは別次元の問題である。片方向の「実らない」思いは、どのような立場の関係性であれ世の中には数多く存在する。「実らない」といって、思慕の対象の生命をおびやかしていい道理はない。また、芸能活動に基づいた演者と受け手との関係が、両者に不均衡な感情を喚起しやすいものだとしても、その活動を選んでいる演者側に落ち度を求める筋合いのものではない。付け加えれば、その「実らない」思いは今回の事件をめぐる議論の中でも「恋愛感情」として説明されがちだが、片方向の感情が攻撃性をもつのは、「恋愛感情」なる言葉におさめきれる場合に限らない。ある特定の感情のみに結びつけて考えることは、不均衡な感情の暴走がはらむリスクを矮小化してしまう。

 芸能活動に関していえば、多くのグループアイドルなどのようにマネジメントの組織を設けることは一定のリスク回避になる。マネジメントを持たないことで、リスクに際して演者自身が対応せねばならず、またリスクを起こす当事者との接触も演者個人にゆだねられてしまう。演者と受け手とはまた、感情だけでなく双方についての情報の面でも不均衡になりやすい。そうした状況に対して、マネジメントの存在は演者と受け手との間に、ある「遠さ」を設定できる。今回の事件はそうしたことを再考させるものでもあった。ただしもちろん、それはスポットライトを浴びるタイプの活動にとって、絶対的な防衛策にはなりえない。今回の事件は被害者がライブ出演する予定の会場付近で起きたものだが、ライブイベント等の「現場」は、必然的に演者と受け手の対面状況が作られる。そうである以上、リスクはより普遍的なものだし、「昔のアイドルは遠いものだった」式の話に有効性を求めても仕方ない。

 この痛ましい事件を受けてすべきことは、「アイドル」という大括りな言葉に導かれて、通り一遍の「商法」批判に収斂したり、実態を反映しないステレオタイプを補強したりすることではない。必要なのは、第一にはストーカー被害・加害の事件としてとらえることであり、また究極的にはステージ上と客席相互の信頼によって成り立つしかない関係性において、その信頼関係を維持するための防衛策を考えることだ。

■香月孝史(Twitter
ライター。『宝塚イズム』などで執筆。著書に『「アイドル」の読み方: 混乱する「語り」を問う』(青弓社ライブラリー)がある。

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