嵐の最新アルバム『Japonism』の壮大な物語
嵐は“日本らしさ”をどうアップデートしたのか? 柴 那典が『Japonism』全曲を徹底分析
日本よいとこ摩訶不思議
(作詞・作曲:野村義男/編曲:)
「通常盤」「初回限定盤」に加えて「よいとこ盤」という3種類の形態でリリースされた本作だが、この曲は「よいとこ盤」に収録されたボーナス・ディスクに収録の一曲。なので本編の16曲とは位置付けが異なるのだが、こうして見ていくと、実はこの曲は、今回の『Japonism』で提示したコンセプトの「答え合わせ」のような一曲になっている。
というのも、この曲は少年隊のカバー。彼らのデビューシングル『仮面舞踏会』のカップリングに収録されたナンバーである。作詞作曲は野村義男。この曲も、ディスコやファンク、ブラック・コンテンポラリーを意識したポップソングを基盤に、和楽器の響きを上モノとして加えたサウンドになっている。歌詞も、ユーモラスな言葉遣いで日本の昔話や手遊びを取り上げた内容となっている。
つまり、彼らが掲げた“原点”の参照軸はここにあった、ということが改めて示されているわけだ。
ちなみに2002年にリリースされた7thシングル『a Day in Our Life』(『木更津キャッツアイ』主題歌)も、やはり少年隊のヒット曲「ABC」をサンプリングしている。これは以前に矢野利裕氏との対談でも触れたとおり(http://realsound.jp/2015/04/post-2921.html)、ジャニーズ的な伝統をヒップホップ流のサンプリングのかたちで示した曲。このことからも、コンセプトの「原点回帰」は実はダブル・ミーニングで、「嵐としての原点」と「ジャニーズの系譜の原点」への二つの回帰を重ね合わせているのでは、と推察できる。
さらに考えを深めるならば、そもそも“外から見た日本”というのは“ジャニーズらしさ”そのものの原点でもある。ジャニー喜多川氏は、本名John Hiromu Kitagawa。LA生まれでアメリカ育ち、占領下の日本にアメリカ進駐軍の一員として赴任し働き始めたキャリアの持ち主だ。初代「ジャニーズ」も、彼が住んでいたアメリカ軍宿舎に近所の少年たちを集めて結成した少年野球チームが母体。大谷能生・速水健朗・矢野利裕『ジャニ研!』でも語られているとおり、60年代に始まったジャニーズのオリエンタリズムのルーツは“アメリカから見た日本”という、ジャニー喜多川氏がもともと持っていた視点のあり方に由来するもの。はっぴいえんどで大滝詠一や細野晴臣が体現したオリエンタリズムが「日本から見たアメリカ」の裏返しだったのとは対極的な構造なのである。
だからこそ、ジャニーズ事務所のアイドルたちはブラック・ミュージックに「和」の要素をちりばめた数々のヒットソングを送り出してきた。代表的なものは、シブがき隊「スシ食いねェ!」。少年隊の「日本よいとこ摩訶不思議」も、忍者「お祭り忍者」も、その系譜に位置づけられる。ここでモチーフになっているのが「スシ・フジヤマ・ニンジャ」など、“外国人が思い浮かべがちな日本らしさ”なのも大きなポイントだ。こうして、戦後日本にいわば「フェイク・ジャパニーズ」としてのエンタメ文化を脈々と連ねてきたのがジャニーズ事務所の歴史だった、とも言える。
そして、嵐自身は99年にハワイでデビューを発表したグループだ。2014年には、デビュー15周年を記念してハワイでのコンサートを行っている。インタビューによると、その体験が今作の“原点回帰”というコンセプトのスタート地点になったのだという。
ハワイというのは、言うまでもなく、アメリカ本土と日本の中間地点にある場所だ。そこから日本に向けてデビューを発表したということは、自分たち自身のヒストリーもジャニーズ事務所の歴史と同じく“アメリカから見た日本”という視点から始まっていたということに気付くきっかけになったのではないだろうか。
『Japonism』の“原点回帰”“外から見た日本”というコンセプトの背後には、こんな壮大な物語を読み解くこともできるのである。
■柴 那典
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンを経て独立。ブログ「日々の音色とことば:」/Twitter