市川哲史が読み解く、東方神起とK-POPの10年間

 少女時代やKARAといったガールズグループの登場が決定打となった2010年夏、日本は未曾有のK-POPバブルを迎えた。そして明らかにこの年を境目として、<J-POPとしてのK-POP>的前期と<洋楽としてのK-POP>的後期に二分できる。

 そんな「黎明期」である前期とは、BoAと東方神起がK-POPの礎を築いた00年代。日本デビューに際し両者とも、既に韓国でデビューしていたにもかかわらず生活の拠点を日本に移す。つまり楽曲制作も含め、日本での活動に関してはavexにほぼ丸投げされてたわけだ。

 要するに日本人アーティストたちと同じ土俵に立ち、<たまたま韓国出身のJ-POPアーティスト>として勝負した。異国の地で生活する分、ハンディキャップマッチですらあったろう。そういう意味では偉い。立派だ。

 そもそも《五人東方神起》本来の魅力は、問答無用の歌唱力。バックストリート・ボーイズを想定して結成されただけに、5人全員がリード・ヴォーカル可能なスキルを活かしたアカペラ・コーラスとキレキレのダンスという二刀流を、日本の制作陣が作品に上手く反映させたのが最大の勝因だった。

 主旋律から下ハモまで五者五様の声が織り成すコーラスワークが威力を最大限発揮するのは、言うまでもなくバラード曲――だから実際に五人時代の全シングルの三分の一がバラードで、しかも東方神起人気を下支えした「韓流からの主婦層」狙いの<既婚者の恋心>、つまり<不倫のせつなさ>を唄った濃縮ラヴソングを揃えた。
 たとえば“どうして君を好きになってしまったんだろう?”とか。

「せつないものって必ず、もどかしさや踏み込めない理由という壁があるんです。恋には必ず障害がある。たとえば主婦の方には旦那がいる。僕も既婚者だから、その気持ちはよくわかる(苦笑)。つまり東方神起ファンにかなりの数おられる、そういうファンのニーズに僕の経験が一致したんだと思います」

 詞を書いた井上慎二郎の戦略は正しい。どれだけの奥様が東方神起との密会を、勝手に妄想して身悶えたことだろう。

 加えて、「一つひとつ」とか「たどたどしく」とか「少しずつ」など、韓国人が苦手とするサ行やタ行だらけの単語を積極的に増量することで、<ごじゃいます>的発音がそれこそ母性本能をくすぐるチャームポイントとして有効に機能した。もうライヴでバラードが唄われる度に、客席のあちこちから嗚咽が聴こえたのだからたまらない。

 こうしたまさにJ-POPならではの配慮とこだわりが、東方神起を<J-POP仕様のK-POP>として完成させた。

 ちなみにいま思えば、東方神起がブレイクし始めた時期と、たたずまい的に競合するKAT-TUNが赤西仁留学で急降下した時期が重なったのも幸運だった。当時、東方神起に乗り換えたKAT-TUNファンは少なくなく、韓流以外の若い婦女子層を「敵失」で獲得できたのも大きかった。運も味方したに違いない。

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