椎名林檎の歌詞はなぜJ−POP界で異彩? “歌不要論者”だからこそ書けるコトバとは

 ただし「歌はいらない」という音楽家の考え方と、「伝えたいことがない」のはまったく別である。歌不要論者である椎名林檎は、歌はかくあるべしという意識から切り離れされたところで自分のコトバを綴るのだろう。新作『日出処』の素晴らしさ、音楽的クオリテイの高さについては今更ここで書くまでもないのだが、歌詞もまた絶品の文学で。右開き・縦書きの文字が並ぶ歌詞カードは、ちょっとした短篇集のような味わいをもって、音楽から独立した魅力を放っているように思う。

〈この密室を拵える要素は、大概が借り物で、自分もそう。降り込んだ雨の率直さは、自由と不自由とを、分け入る様。  絶対戻れやしない。一体何処へ行こうか。考えるまい。〉(「走れゎナンバー」)

 なんだか絲山秋子の小説みたいだが、これが椎名林檎の今の歌詞である。歌というか文学である。句読点のきちんとついた文章。メロディに乗ってナンボだとかサビに印象的な語感を残そうとか、そんな計算で書かれたものだとは到底思えない。しかしこの小説的文章、CDを聴けばしっかりファンキーなサウンドに乗った音楽になっているのだ。なんだこれ。凄いぞ。

 さらにはミュージックビデオも作られた、後半の一曲が素晴らしい。

〈幼い頃から耳を澄ませば、ほんとうに小さな音も聴こえて来た。〉

 このモノローグから始まる歌詞は、満ち足りた幼少期を送る娘であった主人公が、いつしか子供を授かり、親になるというストーリーだ。あふれる愛情と母性がどうといった記述はない。あなたは私を選んできてくれた奇跡のベイビーね、みたいな甘ったるさも皆無。いくらでもファンタジックに盛れる話、あるいはどこまでも普遍的な感動に落とし込めるテーマを、椎名林檎はこんな文章でスッと描いてみせるのだ。

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