栗原裕一郎の音楽本レビュー 第4回:『渋谷系』
「渋谷系」とは日本版アシッドジャズだった!? 若杉実の労作が提示する“DJ文化”という視点
「渋谷系」の登場
「渋谷系」が初めてメディアに登場したのは、セゾングループが発行していたタウン誌『apo』93年11月9日号。
「センター街あたりじゃあたりまえ “渋谷系”ミュージックって、なに?」
見出しのこんな文章で使われたのが初出だとされている。執筆者は、当時はミニコミだった『バァフアウト!』を発行していた山崎二郎だ。
こんな逸話も紹介されている。
93年の春、フリッパーズを解散した小山田圭吾が、馴染みのレコード店、渋谷ゼストに来て、こういったのだという。
「これからは“渋谷系”というのがくるらしい」
ゼストはカジヒデキもバイトしていた、ネオアコの聖地と呼ばれたレコ屋だ。小山田がそう話した店員は、渋谷系を代表するレーベル、エスカレーター・レコーズを興した仲真史。渋谷系の筆頭となる小山田が、渋谷系の要人となる仲に、渋谷系の聖地となる場所で、「渋谷系というのがくるらしいよ」などと他人事のように話していたわけで、じわじわ来るエピソードである。
小山田は、渋谷系という言葉を雑誌編集者から聞いたそうだ。山崎も打ち合わせの時『apo』編集者から教えられたのだという。その頃「渋谷系」は業界内ではすでに流布していて、たまたま最初に書き留めたのが山崎だったわけだ。
著者は「口コミ」から生まれた言葉だと片付けて、それ以上の追究はあっさり放棄している。渋谷系の謎を究明するのが目的なのではないという著者のスタンスがよく現れているといえよう。