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栗原裕一郎の音楽本レビュー 第4回:『渋谷系』

「渋谷系」とは日本版アシッドジャズだった!? 若杉実の労作が提示する“DJ文化”という視点

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渋谷系とは日本版アシッドジャズである!?

 したがって後半は、DJ文化がどのような変遷をたどり、どのような側面が渋谷系と呼ばれる音楽に結実していったかをひもとくことが課題の中心となる。

 ある意味で、著者自身の経験を現在の視座から捉え直すのに似た作業であるためか、詳細ではあるのだが、取り散らかった印象がないではない。評者なりに大づかみにまとめるならこうなるだろうか。

 まず80年代に芽生えたDIY意識が前提とされる。具体的には、貸しレコードで自分なりのライブラリーをつくることや、インディーズ・レーベルやフリーペーパー、カセットマガジンといった手作りのオルタナティブなメディアが登場することなどだ。特に重視されているのは、桑原茂一の主催するフリーペーパー『ディクショナリー』(88年創刊)で、DJ登竜門的な性格も持っていたこの雑誌は、沖野修也やU.F.O.の松浦俊夫など90年代に繋がる人材を輩出した。また、90年代以降は渋谷系の人脈カタログの様相を呈するようになる。

 この時代に培われたDIY意識は、90年代にマッキントッシュが普及することによって増幅、拡散していく。『サバービア・スイート』の橋本徹は、渋谷系とは「マック以降、インターネット以前」のものだったとしている。批判的な目に晒されずにアイディアを試すことのできる環境がその時期あったということである。

 その一方で、モッズからアシッドジャズへの流れ、伝説的な下北沢ズー/スリッツ、京都のDJ〜クラブシーンなど同時多発的な動きが渋谷に集約されていく様子が描かれる。モッズ〜アシッドジャズという流れはとりわけ重視されていて、著者は「渋谷系とは、とりもなおさず日本版アシッドジャズではないか、というのがぼくなりの持論だ」とまで書いている。

「88年から音楽メディアがCDに代替し、それにともない旧譜、名盤、レア盤の類がいっきに再発された流れは、東京・ロンドンを中心とした都市部の文化水準をいっきに向上させた。アシッドジャズも渋谷系もその時代が重複する」

 初期フリッパーズの音楽性はネオアコとされることが多いが、田島貴男などをパンクと評する者もいた。アシッドジャズとオリジナル・ラヴならダイレクトに繋がっている印象があるが、アシッドジャズとフリッパーズ、パンクとフリッパーズはなかなか繋げて考えにくい。再発により豊穣な音楽資産が水平なアーカイヴとなった地点において、DIY精神とDJ感覚に基づく意識で音楽を作り始めたという共通性の背後にモッズの精神性があり、また、そうした行為がパンクが形骸化した状況に対するカウンターとして本質的にパンクだったと解釈すればいいだろうか。

 正直なところかなり整理しにくい本で、読む分にはそうでもないのだけれど、書評となると、どこをどう抽出してどう繋げればいいのか悩むことしばしだった。結局、渋谷系というのは、どこかの誰かがパッケージするために生み出した言葉に過ぎないわけで、パッケージング以前の現実がその器に合わせて動いていたはずもなく、話があちこちするのは当然ではあるのだろう。

 全体を通して見て、やはりDJ〜クラブカルチャーに偏向している嫌いがないではない。だが、偏った部分があったとしても、ここを叩き台に、後続の渋谷系本が肉付けを補っていけばいい話だ。同時代を現場で体験してきた者による渋谷系総括として得難い一冊といえるのではないかと思う。

■栗原裕一郎
評論家。文芸、音楽、芸能、経済学あたりで文筆活動を行う。『〈盗作〉の文学史』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『石原慎太郎を読んでみた』(豊崎由美氏との共著)。Twitter

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