the原爆オナニーズ・TAYLOWが語る34年のバンド史、そして若手世代へのメッセージ

結成当時のパンクシーンと、"原爆サウンド”の秘密

ーー当時の名古屋のシーンは、スタークラブと原爆が活動していましたが、そのほかはどんな感じでしたか?

TAYLOW:CFDLとかが出てくるぐらいまで、後進は無かったんだよね。ROSE JETSとか割礼ペニスケースとかいたけどね。僕はハードコアが好きで、すぐ東京とか大阪から良いバンド連れて来て観せるんだけど、そうするとみんな、やりたいけど出来ない状態になっちゃって。バンドはいっぱいいたんだけど、観に行くともう一息頑張りましょうっていうバンドばっかりだった。それでCFDLがもう全然違うハードコアを出して、あそこから名古屋のハードコアは結構平気でやれるようになったかな。それまでは「ジャップコアをやらなきゃいけない」みたいな固定観念があった。それを壊したところから始まったと思うんだよね。

ーーその間も原爆は変わらない活動を続けていますよね。メンバーが変わるとサウンドも変わったりするものだと思いますが、一貫して“原爆のサウンド”に聴こえるのはなぜでしょう?

TAYLOW:たぶんEDDIEのベースの音だろうね。スタークラブの時からEDDIEの音はずーっと変わってないもん。日本のパンクロックのベースの音って、FRICTIONタイプかEDDIEタイプかどっちかで、その二つの主流を作ったうちの一人だから。

ーーパンクだけに限らず、ハード系の日本のアンダーグラウンドのベースの音を確立したって事ですよね。それが未だに現役バリバリでやっているっていうのがすごいです。昔観た人が今観たら、衝撃だと思うんですよ。あの時に観た原爆が、まだ全然変わらずやっているってすごく嬉しいと思いますよ。

TAYLOW:昔のリスナーが知っている曲も未だにやるしね(笑)。まぁ、やっている側としては進歩もしているつもりなんだけど。

シド・ヴィシャスとの遭遇と海外進出

ーー原爆で海外に行った経験についても話を訊かせてください。

TAYLOW:1992年にアメリカ・サンフランシスコでギルマン(老舗DIYライブハウス)とカメレオンっていうところでやった。こういう形態のパンクバンドでは、たぶん日本で最初に海外に行ったと思う。ROSEROSEとGAUZEがヨーロッパに行っているけど、アメリカに行ったのは僕等が最初じゃないかな。

ーーアメリカのお客さん達も衝撃を受けていましたか?

TAYLOW:一番、楽しそうだったのはジェロ・ビアフラ(DEADKENNEDYS・ボーカル)だね。大喜びで暴れていたよ(笑)。クリス・ドッジ(SPAZZ)も暴れていた。日本のパンクに興味深かった人はみんな来ていたんじゃないかな。ニューヨークからも来ていたし。

ーーアメリカに行く時は、バンド名は翻訳するのですか?

TAYLOW:アメリカのレーベルからシングルを出した時は、そのまんまバンド名をローマ字にした。カリフォルニアUCSSっていう、カリフォルニアの大学のカレッジラジオでは、プロモーションとしてライブをやる前々日ぐらいからそのバンドの曲がすごくかかるんだよね。アメリカに到着した時、車のラジオでいきなり原爆がかかった時はビックリしたよ。

ーーTAYLOWさんは個人的にも海外に沢山行っていますね。シド・ビシャスと会った事があるって聞いたんですけど......。

TAYLOW:イギリスは78年からもう何回も行っている。シド・ビシャスは会ったというか、見た。普通に同じ場にいたんだよ(笑)。何かみんな彼が歩くと道を開けたりしていたけれど、普通の人のイメージ。みんなが思い描いているシド・ビシャスとは違うと思うよ。たぶんみんな、シド・ビシャス伝説に騙され過ぎなんだよ(笑)。

ーーほかにイギリスではどんなライブに行ったりしましたか。

TAYLOW:色々なところに行っているんだけど、個人的に一番衝撃的だったのはWIRE。彼らのライブを観て「こりゃもうバンドやるしか無い」と思った。それまではバンドのマネージャーをやっていて「マルコム・マクラーレンみたいで面白いじゃん」とか思っていたけど、WIREを観てからね、もう何でもアリ。

ーーイギリスでパンクロックが隆盛の時?

TAYLOW:パンクロック・ムーブメントの最後の方、DISCHARGEが出てくる頃だね。DISCHARGEのシングル買って「ヘタクソなU.K.Subsだな」って思ったよ(笑)。78年から80年の間は、U.K.SubsかKillingJokeの時代だから、街中に出て行くと大体イキったパンクスはそのどちらかが好きだった。

ーーU.K.Subsは今もイギリスですごい人気ですよね。それで帰って来てどうしたんですか?

TAYLOW:日本に帰って来た時は、周りはやっと77年型のパンクに追いつき始めたぐらいだった。それで「そんなもんじゃ無い。音楽は壊さなきゃいけない」ってみんなに言ってまわったの。でも名古屋の人達はみんなワケがわからないよね。でも、本場で体験しちゃっているから、こっちはサイケデリックなモノとパンクが頭の中で一緒になっているわけ。ちょうどその頃のイギリスはハードコア・パンクが出始めた時で、観に行っても暴れ方がそれまでのポゴじゃなくて、今で言うスラムみたいな暴れ方するから衝撃だった。SPECIALSみたいなバンドを観に行っても、みんないきなり暴れ回るから。2TONE(イギリスのSKAレーベル)とハードコアが出てきたのがほぼ同時期で、暴れ方も大体一緒だったんだけど、2TONEの客が一番ヤバかったな。喧嘩しに来ているだけの本当の悪い人達だから。まだ本当に全部スキンヘッズの頃。今まで観たライブで一番怖かったよ(笑)。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる