「スコラ 坂本龍一 音楽の学校 シーズン4」第3回
坂本龍一がシンセサイザーの歴史を語る 「自分にとって革命的な楽器との出会いだった」
世界的音楽家・坂本龍一を講師に迎え、音楽の真実を時に学究的に、時に体感的に伝えようという「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」(NHK Eテレ)のシーズン4・第3回が、2014年1月23日に放送された。
1月期のテーマは「電子音楽」で、ゲスト講師には前回同様、川崎弘二、小沼純一、三輪眞弘の3名が迎えられた。今回の講義内容は「シンセサイザーの誕生とその後の電子楽器の発展」について。1950年代にドイツで始まった電子音楽だが、1970年代以降はPOPS、ROCK寄りの人たちに使われることが多くなり、電子音楽の地位を高いところまで押し上げた。坂本は「1970年代以降、電子楽器はシリアスミュージックに使うことが少なくなったため、実りが多くなくなってきた」と語り、川崎は「電子音楽はクセナキスやシュトックハウゼン、武満徹、湯浅譲二などが参加した大阪万博で一つのピークに達した」と電子音楽の隆盛を指摘した。
世界各国の電子音楽スタジオで作られていた作品は、特殊な技術や装置を必要とする、非常に高度なものだった。その一方で、一般の人々が電子音楽に触れるきっかけを作ったのが、当時大量生産で始まったトランジスタの技術だった。それまで使用されていた真空管をトランジスタに変える事で、ラジオやテレビをはじめ、多様な機材が小型化されていった。そんな中、1964年にアメリカの電子工学者であるモーグ博士が、様々な音を出す電子音楽用の機材を小型化し、1台に集約した。これをモーグ・シンセサイザーと呼び、「電気の力で無限の音色を作ることが出来る楽器」として、広く音楽の現場に取りいれられるようになったのだ。この技術の進歩に対し、坂本は「尺八の達人になるには何年もかかって大変だが、シンセサイザーを使えば完全再現とは言わないまでも、簡単により近い音で再現が可能になった事に喜びを感じた」と当時を振り返った。
音楽を体験しながら学ぶ「スコラ・ワークショップ」では「4人目のYMO」と呼ばれている松武秀樹氏を迎え、1970年代に使用したシンセサイザーを使って音を作る手法を紹介。参加したのはヴァイオリンやピアノなどの楽器を習っている4人の高校生。シンセサイザーが誕生するまでの間に使用されていた、簡単な音の最小単位である「サイン波」では実現できなかった、複雑な波形であるバイオリンやピアノの音を再現するために、トライアングルやノコギリ型など、目指す音の波形に対し一番近いものを選択。ローパスやハイパスなどのフィルターを使い、高音と低音を閉じて波形を調整する手法を解説した。楽器によって波形が様々だった問題も、それに合った音の立ち上がりと消え方、波形の調整が出来るようになり、より本物に近くなった。
ここまでは既存の楽器を再現する音だが、続いてシンセサイザーが誕生したことで可能になった特有の音を取り上げる。レゾナンスを使い、特定の波形を強調して音を歪ませたり、LFOを使って強いビブラートをかけたり、ノイズジェネレーターを使ってノイズを発生させたりと、組み合わせる事で新しいノイズを生み出せることに対し小沼は「シンセサイザーは『音はどうやって出来ているのか?』を知るのに良いツール」と、坂本は「現実の音を再現するのにはどうしたらいいのか?という疑問を論理的に考えれるようになるようになるための楽器」と解説した。