『ジークアクス』になぜ誰もが夢中になったのか 毎週放送の“TVアニメ”の喜びを再確認

この3カ月間、色々な意味でファンを騒がせた春シーズンのテレビアニメ『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』(以下、『ジークアクス』)が、ようやく最終回を迎えた。
2025年1月より公開された本作の映画版は、シネコンに足を運んだ多くのガンダムファンを「えええ! 『ジークアクス』ってこういう話なの!?」と驚愕させ、徐々に『機動戦士ガンダム』(1979年)の別の世界線らしいと口コミが広まったことで、テレビシリーズの先行上映という体裁でありながら大ヒットを収めた。
アムロ・レイとシャア・アズナブル、あるいは地球連邦軍とジオン公国が激戦を繰り広げた、通称“1年戦争”。その世界観の延長として、アムロたちが登場しない(いや、登場する作品もあるのだが)1年戦争ものの『ガンダム』がこれまで数多く制作されてきた。本来の1年戦争はアムロとガンダムの活躍もあって、連邦軍が勝利を収める形で終結したのだが、『ジークアクス』はジオンが勝利した「IF(もしも)」の世界。しかもアムロが乗り込むべきタイミングで、シャアがその白いモビルスーツ(ガンダム)を強奪する超展開に加え、シャアの専用機は常に赤くペイントされているガンダム世界のならわしに則って、ジオンが強奪したガンダムは赤い色に塗られて現われる。「何から何まで、そんなのアリかよ!」という痛快な掟破りの数々にファンは湧き、時には混乱して放送を追いかけた。
『ジークアクス』の監督は、スタジオカラー制作の『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版』シリーズ(2007年~2021年)で監督を務めた鶴巻和哉だ。ガンダム自体はもともとサンライズが制作している作品だが、『ジークアクス』はスタジオカラーとサンライズの共同制作という驚きの布陣だったことから、鶴巻監督とカラーのエッセンスがガンダム世界に大量に導入され、予測不可能な展開を見せていった。
それなりに裕福な家庭に育ち、殺伐とした戦争の空気からは縁遠い少女のマチュことアマテ・ユズリハと、違法パーツの運び屋で金を稼いでいる戦争難民の少女ニャアン。マチュが広々とした浴槽の風呂に入って母親と会話しているのに対し、独り暮らしのニャアンは狭いユニットバス(洋式トイレとバスタブがセットで並んでおり、湿気が籠りやすい)に身を屈めて入っているところを見せ、友人の間に横たわる格差をさりげなく見せる演出も良かった。全く違うタイプの少女2人の絡みで起きる化学反応を含め、『ジークアクス』のメインキャラクターとサブキャラクターたちの描き方には、『ヱヴァンゲリヲン 新劇場版』シリーズよりも、同じ鶴巻監督作品『トップをねらえ2!』のテイストを強く感じたのだが、『トップ2』について書き出すと果てしなく脱線するので割愛する。ともあれサンライズだけの単独制作では味わえないような、大仕掛けの数々を堪能できたガンダムという意味では、カラーとのタッグは大いに意義があったと言えよう。
当初、放送は1クール(通例、全12話から13話)と言われており、放送半ばあたりまでの情報量の多さを見るに、「本当にこれ1クールで終われるのか?」「2nd Seasonに続く!な終わり方になるんじゃないのか?」「または劇場版で完結します」という映画館への誘導になるのではと様々な可能性を考えながら観ていた。意外にも本当に1クールで完結してしまったが、『機動戦士ガンダム』だけでなく、その続編『機動戦士Zガンダム』のキャラまで引っ張り込んで、それらがドラマの拡張に結び付かなかった惜しさを思うと「もっと長く作品に触れていたかった」という気持ちのつきまとうガンダムでもあった。
例えば『Zガンダム』のキャラクターであるバスク・オムや、同じく『Zガンダム』出典の、人為的にニュータイプを作り出すムラサメ研究所の話はもっと話が広げられたのではと思うだけに、一言でいうと“勿体ない”作品なのだ。非合法ビジネスに手を出しているジャンク屋のお姉ちゃんアンキーとその仲間、ジオン軍のコモリ少尉、エグザベ少尉ほか、もっと活躍の場を与えてバックグランドを描ける余地のあるキャラクターが多かったと思うのだが、その辺りに物足りなさはあった。ないものねだりかも知れないが、それだけ『ジークアクス』には魅力的な登場人物が多かったので、個々のキャラへのスポットの当て方は、やや控えめだったなと感じる。




















