『ジークアクス』マチュの“闇バイト”は現代に何を問いかける? 往年のファン&20代で激論

『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』(『ジークアクス』)第9話にて、いよいよアムロ・レイの存在が大きく示唆された。ララァ・スンが本格的に登場し、「向こう側」の世界として地球連邦側が勝利した(「正史」の)世界を示唆するようなことを言い出したのだ。
1年戦争においてジオンが勝利したifの世界として構築されてきた『ジークアクス』の物語だったが、ここに来て「正史」世界との直接的なつながりがほのめかされはじめている。
本作は1クールで終了する(?)らしいが果たしてどこに落ち着くのだろうか。『新世紀エヴァンゲリオン』やカラー(ガイナックス)作品との共通点どころか「乃木坂46説」まで現れて、もはや収拾がつかなくなっている考察界隈のことも考えると、この膨大な情報量には胸が踊る。
マチュ・ニャアン・シュウジ、3人の運命は如何に。『リアルサウンド映画部』では、年齢や国籍など出自の異なるスリーマンセルを急遽結成し、今回の“『ガンダム』が何を言っているのか”意見を募った。

オタクカルチャーに精通しているドラマ評論家の成馬零一氏は『ジークアクス』の魅力について、「前提としてガンプラが売れていて、商業的には成功している作品と言える」と語る。
「主人公機以外のガンプラも売れているので、近年の作品としてはガンプラビジネスとしてもしっかり成功している例だと思います。そもそもかつての『ガンダム』にはまず“玩具を売りたい”という産業的な要請があって、にもかかわらず中身には重厚な人間ドラマがあったという二重構造が画期的でした」
一方で、脚本の性急ぶりについては困惑しつつも、そこに現代性を見出せるという。
「ただ、今はそれがもう一度逆転して、あらゆる要素がガンプラに奉仕してるようにも見えてしまう。結果として物語の整合性を汲み取りにくくなってしまっているところがあって、特に今作ではマチュ周りの人物造形を理解するのが難しいというか……。人間の成長物語として見ると、かなり不自然な部分を感じるんですが、とはいえあらゆるキャラクターが次々に出てきてそれをどう見せるかという考察ゲーム的な楽しさはあるので、そこを楽しめる人にとってはすごく面白い作品だと思います」
成馬氏は『文春オンライン』にて『前橋ウィッチーズ』についての論考も寄せている(※)。『機動戦士ガンダム 水星の魔女』を含め現代の他作品と比較してこう語る。
「『水星の魔女』は現代の話としてよくできていたと思います。優等生的ではあるけど、たとえば“母子密着問題”とか、“株式会社ガンダム”のような市場原理を持ち込む発想もすごく今っぽい。それに比べると、『ジークアクス』は別のほうに関心が向いている気がします。今のアニメは“1クールで面白くみせよう”と思うと、結局“衝撃展開”をたくさん詰め込まざるを得ない。昔の『ガンダム』のように、キャラクターの心情を丁寧に描いて最後に盛り上げる手法は、今のオリジナル作品では難しいんだと思います。他作品ですが『前橋ウィッチーズ』や『アポカリプスホテル』などを観ていても、1クールの中で何を目指すかを考えるとどうしても“超展開”が入り込む。視聴者をとりあえず驚かせなければいけなくて、これは『魔法少女まどか☆マギカ』あたりから定着した1クールアニメならではの作劇手法だと思います。1クールの尺の問題とSNSでどうバズらせるかをセットで考えるストーリーテリングの形が、『前橋ウィッチーズ』や『ジークアクス』などの作品にすごく影響を与えていると感じます」
アニメファンのリテラシーは日々成熟しつづけている。自身と若者世代の消費態度の違いに言及しながらこう続ける。
「日本のアニメファンも目が肥えているから、すぐに“これは並行世界なのか?”とか“ループものか?”と容易に思いつくので、さらにそれを踏まえた上で物語的に裏切らなきゃいけない構造になっている。そこにある視聴者と制作陣との“勝負”はスリリングなんだけど、本当に将棋で相手の手を読み合ってるみたいで、作品がわからない人にとっては“いま何やってるの?”って感じだと思います。なので正直、40代である自分にとって、他の人がどう観ているのかがわからない。若い子が普通に自身を主人公に同一化して観ているかというと、それも考えにくいし、むしろそういう物語の中にある“主体”がどんどん不明確になっている気がします。だから“人”を中心に物語を観ている自分の視点のほうがもう古いんじゃないかなと思うときさえあります」
近年の『ガンダム』シリーズは過去作を追っていない視聴者を含めて、若者にも受け入れられている。同人批評誌『Blue Lose』を主宰する舞風つむじ氏は20代の意見として、主人公・マチュのキャラクターについて以下のように語る。
「マチュのキャラクター造形は1990年代っぽいというか、宮台真司が『制服少女たちの選択』(講談社)で述べていたことに近いところがありますよね。“空虚な日常(からの脱却)”をベースに、ある種の大人とか権力に対する反抗精神みたいなものが出力されているようなキャラクターで、その意味では古典的な部分も感じます。でも一方で、空虚な日常から抜け出すためにマチュが選択したのが闇バイト的な、非合法な決闘(クランバトル)という設定になっているのは現代的な問題意識に根付いている気がして、その点はアップデートされているところかなと思います」
マチュのキャラクターからはスタジオカラーの過去作の作風も踏襲しつつ現代的な感性も見出せるようだ。
「鶴巻和哉監督と脚本の榎戸洋司さんのタッグといえば『フリクリ』と『トップをねらえ2!』が有名だと思いますが、この2作との共通点はやはりあるなと感じます。ハル子やノノもそうだったと僕は考えているのですが、お2人が作っている作品ではヒロイン像が“動機”よりも先に“行動”があることで成立していた。その意味で、マチュは無軌道に行動を起こす点が踏襲されていると思います。近年では似たようなキャラクターとして『ガールズバンドクライ』の井芹仁菜がいたと思うのですが、彼女は空疎な日常のつまらなさから逃れようとしてもがいているマチュとは逆に、日常のさまざまなところで行き詰まってしまっている。行き場がないからこそもがいているように見えます。ただ、どちらの主人公も結果としては同じようにある種の無鉄砲さを兼ね備えていることは面白いですよね。そういう無鉄砲さが実際には徐々に許されなくなってきているという実感があるからこそ、マチュに共鳴する若者たちに『ジークアクス』が受け入れられているのかもしれません」
マチュは最近流行りの俗に言う“せからしか系JK”キャラだが、往年のシリーズファンはマチュに対してどう感じるのか。成馬氏を再び呼びつけて“ぶっちゃけマチュについてどう思うか”聞いてみた。




















