『べらぼう』橋本愛と横浜流星の芝居は相性抜群 蔦重が女心に関しては“べらぼう”過ぎる

「丸屋さんは町の講からも借りていたので、これしきのことは日本橋の商人だったら誰もが思いつくんです。でもやらないんです。これは、座頭や無法者、あなたがた忘八のやり口だからです」
これまで幾度となく蔦重(横浜流星)とやり合ってきた赤子面こと鶴屋(風間俊介)。しかし、その顔にいつもの作り笑顔はない。怒りと嫌悪感に満ちたこの表情こそ、当時の吉原者に対する世間の冷たい眼差しを痛感させた。

NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第24回「げにつれなきは日本橋」では、売りに出されている丸屋を巡って、蔦重を中心としたチーム吉原vs鶴屋率いるチーム日本橋の体面をかけた衝突が描かれた。
「吉原者出入無用」の立て看板を掲げるなど鶴屋の吉原者に対する厳しい態度は、現代の感覚で見るといささかやりすぎなのではと思わされる部分もある。だが、吉原の親父たちのやり方もまた「忘八のやり口」と言われても仕方のない、荒々しいものであることもたしか。最初に出したアイデアなぞ、ツケを溜め込んでいた茶問屋・亀屋を使って一度丸屋を購入させ、そこを借りる形で耕書堂が開店してしまえばいいというもの。

もちろん、そんなことをしては開店後にトラブルが起きるのは目に見えているのだが、「細けぇ話は後だ、後! 買い手が決まっちまったら、手も足も出ねぇだろうが!」「まずはとにかく買っちまうことが大事ってことよ!」と聞く耳を持たない。さらには「この手のことは俺たちに任しとけ」と豪語する。
他にも、女やもめになっている丸屋の女将・てい(橋本愛)を「蔦重が色仕掛けで落としたらどうか」などという案も飛び出した。本の企画となれば「江戸一の利き者」と言われるほどキレのある蔦重だが、あの懐深い瀬川(小芝風花)でさえやきもきさせられたことを思えば、蔦重にそんな恋の手練手管はないのは明らか。それでも、まずはそうした手段がすぐさま出てくるところが、色恋を商売にしている吉原者ならではなのだろう。

実際、誰袖花魁(福原遥)が松前藩の抜け荷の証拠を掴もうと一世一代の大勝負に出ている今も、その手にある策は色仕掛けのみ。無謀とも思える大胆な作戦だが、やはりそこも吉原という世界しか知らないからかもしれない。人の心が動くのは、まず色恋。それでも動かなければ「あんまり上品な手じゃねぇけどな」と言いつつ、借金の証文を手に乗り込んでいく……きっと、そんなやり方で吉原という場所は成り立っていたのだろう。だが、蔦重にはそんな「忘八のやり口」が最良の手だとは思えなかった。むしろ、そんなふうに強引に事を進めて、流れてきた涙や無惨な死を迎えた弱き者たちがいることを知っていたから。そして、本屋という生業を始めたその根底には、そんな吉原を変えたいという思いもあった。
また、蔦重の中には丸屋という本屋に対する尊敬の念もあったはず。かつて鱗形屋(片岡愛之助)と青本を蘇らせようと盛り上がったとき、「青本といえば、うちか丸小か」と丸屋の名前が上がっていたことを思い出す。今、蔦重が青本でこれほど脚光を浴びているのも、その草分け的な存在がいたから。それが、自分に版木を託して去っていった鱗形屋、そして今回店舗を買おうとしている丸屋というのも、世代交代のめぐり合わせを感じさせるものだが……。