横浜流星は“変わらずに変わっていく” 『べらぼう』蔦重の這い上がる姿に魅了される理由

平賀源内(安田顕)の死に終わり、喜多川歌麿(染谷将太)となるかつての少年・唐丸(渡邊斗翔)との再会に始まった『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(NHK総合)第2章(第17回以降)。

「江戸一の目利き」となった蔦重(横浜流星)は、いよいよ日本橋に打って出ようという頃合いである。蔦重サイドは「狂歌ブーム」、田沼意次(渡辺謙)を中心とした政サイドは「蝦夷地ブーム」とそれぞれに盛り上がる、人々が浮足立った華やかな時代。文化面、政治面で時代を牽引する蔦重、意次の根底にあるのは、源内が思い描いていたことを具現化したいという思いだ。第16回で「本を出し続けることで平賀源内を生き延びさせる」と言っていた須原屋市兵衛(里見浩太朗)の言葉のように、蔦重は源内がつけた「耕書堂」という名前に見合う「日の本一の本屋」になるために奔走し、意次はかつて源内が考え、実践しようとしていた町づくり、国づくりの構想をなぞり、国をもっと豊かにしようと奔走する。
ギラギラと誰もが自分の欲望に忠実に生きている世界の中で、唯一、佐野政言(矢本悠馬)だけがとり残されて切なげに肩を落としていて、そこだけがシンと静かだ。森下佳子脚本『べらぼう』は昼夜を問わず盛り上がる人々の群像劇を通して個性豊かな作家たちの愛すべき生態を描きつつ、その根底にある、人々の「変わらぬ思い」を丁寧に掬い上げていく。だから、いつも心動かされるのだ。

『べらぼう』第17回から第23回をひとまとめにして語るなら、蔦重の人生にとっても、時代そのものにとっても、自由を謳歌する「春」の季節と言えるのではないだろうか。喜多川歌麿、朋誠堂喜三二(尾美としのり)、恋川春町(岡山天音)といった蔦重抱えの「日の本一の作家」たちの様々な個性と、創作の苦悩を主軸においた回は、本作が「江戸のメディア王」蔦屋重三郎の物語であると同時に「作家たち」の物語であることを再認識させる。
また、作家と蔦重、鱗形屋(片岡愛之助)ら本屋との、現代の作家と担当編集者のような関係や、市中VS蔦重という対立構造で生じる本屋の仕入れを巡る攻防が、江戸時代の出版・書店業界のリアルを描いているようでなんとも興味深い。さらに、春町の「酒上不埒」誕生秘話をはじめ、狂歌に興じる人々の狂名のユニークさ、即興性は、当時の人々の物語をぐっと身近な存在にしてくれる。片や田沼親子を中心とした政治パートは、史実にない思わぬ暗躍ぶりを見せる誰袖(福原遥)の動きに翻弄され、まさに「そうきたか」の連続である。そんな中で、変わらぬ光を放ち続けているのが、視聴者ばかりでなく時代をも引っ張る風雲児・蔦屋重三郎だ。

第17回で蔦重は次郎兵衛(中村蒼)に「なんかちょいと変わったね」と言われる。果たして彼は「変わった」のだろうか。育ての父・駿河屋市右衛門(高橋克実)とりつ(安達祐実)からの、頼まれ仕事を面倒くさがるほどには売れっ子としての矜持を持ち、「いっそ日本橋から言ってきてくんねえかな、タダでいいから日本橋に店出してくださいって」「今の俺に足んねえのは日本橋だけ」と思うほどに自信に満ち満ちている彼は、確かに少しずつ何かが変わりつつあるような気がする。




















