『あんぱん』で『チリンのすず』のオマージュを描いた意義 “狼”ではなく人間であるために

主人公は子羊のチリン。狼ウォーに羊の仲間と母親を殺されたチリンはウォーに育てられ、羊とも狼ともつかぬ独特な風貌に成長する。実はチリンはウォーに復讐しようと虎視眈々と狙っていて、あるときついに目的を達成する。だが心は晴れない。チリンとウォーの愛憎渦巻く関係が鮮烈な物語だが、筆者が印象に残ったのは、ウォーに育てられいつの間にか暴力的な生き物に育ってしまっていることだ。殺戮の血にまみれた狼化した羊は孤独に生きていくしかない。自分の正義を貫くことも大事だけれど、そのために他者の尊厳を踏みにじっていいものか。
朝ドラは、これまで自分の思いを貫くキャラクターが中心にいることが多かった。思い通りに生きろというメッセージのもと、そのため脇役が我慢を強いられることになる。だが、やなせたかしは「正義は逆転する。じゃあ、決して引っくり返らない正義ってなんだろう。 おなかをすかせて困っている人がいたら、一切れのパンを届けてあげることだ」と考える。困っている人を優先するのだ。

嵩は所属している軍隊の補給路が絶たれ飢餓状態に陥ったとき、中国人のヤン・チュアンユン(天野眞由美)からゆで卵を差し出される。すでにほかの日本兵が押し入って食料をあらかた奪っていったあとで、彼女も食べ物に困っている。にもかかわらず唯一残った卵を嵩たちに譲るのだ。
飢えで判断力が鈍ったコン太(櫻井健人)が銃を突きつけるという暴挙に出たにもかかわらず、親切にしてくれるのだ。ヤンは決して狼にならない。穏やかな羊である。一方、コン太は狼に変わりかけていた。
「卑怯者は、忘れることができる……だが、卑怯者でない奴は、決して忘れられない……おまえはどっちだ? どっちなんだ!」
リンから事情を聞いた八木(妻夫木聡)は嵩に問いを突きつける。岩男のように我々だって誰かの尊厳を損なっているのではないか。そのことに気づかない愚鈍さ、あるいは気付かないふりをする狡猾さをもって生きるか、それとも痛みを我がこととして生きるか。

嵩は「わかりません」としか言えない。嵩はこの問いの答えをこれから考え続け、「正義は逆転する。じゃあ、決して引っくり返らない正義ってなんだろう。 おなかをすかせて困っている人がいたら、一切れのパンを届けてあげることだ」にたどりつくのだろう。
第11、12週は軍隊や戦場という無味乾燥な場が主な舞台となったが、そこに馬やタンポポの綿毛、ときどき出てくるのぶの部屋に飾ってある花など、少し心が優しくなるような画があった。
人間は戦争することもあるが、「人間は美しいものもつくることができる」という清の言葉のように、どんなに貧しかろうと酷い目にあおうと決して狼にはならない。その理性こそ、人間の最後の希望である。
■放送情報
2025年度前期 NHK連続テレビ小説『あんぱん』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00~8:15放送/毎週月曜~金曜12:45~13:00再放送
BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜8:15~9:30再放送
BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:今田美桜、北村匠海、加瀬亮、江口のりこ、河合優実、原菜乃華、細田佳央太、高橋文哉、中沢元紀、大森元貴、志田彩良、二宮和也、瀧内公美、山寺宏一、戸田菜穂、浅田美代子、吉田鋼太郎、竹野内豊、阿部サダヲ、妻夫木聡、松嶋菜々子
音楽:井筒昭雄
主題歌:RADWIMPS「賜物」
語り:林田理沙アナウンサー
制作統括:倉崎憲
プロデューサー:中村周祐、舩田遼介、川口俊介
演出:柳川強、橋爪紳一朗、野口雄大、佐原裕貴、尾崎達哉
写真提供=NHK






















