齋藤飛鳥の“無感情”な演技になぜ惹きつけられる? 『恋は闇』の沈黙の中にある深い余白

現在放送中のドラマ『恋は闇』(日本テレビ系)において、齋藤飛鳥が演じる「謎の女性」は、物語の空気を一変させる存在として強烈な印象を残している。ひんやりとした無表情、どこか影を引きずる佇まい。とりわけ第5話終盤、万琴(岸井ゆきの)が浩暉(志尊淳)の部屋の冷蔵庫に何かを見つけた直後、無言のまま冷蔵庫の扉を閉める齋藤の姿には、視聴者からも大きな反響が寄せられた。
その無表情は感情の欠如ではなく、不安や憶測を呼び起こす問いとして機能していたのが印象的だ。表情がないことで、かえって観る者の想像をかき立てるその不穏さこそが、齋藤の現在の演技が持つ最大の武器である。
思えば、乃木坂46時代から“クール”や“ミステリアス”なイメージが定着していた齋藤だが、ここ数年はその“翳り”をより豊かに、そして深く表現できる俳優として存在感を増している印象だ。今作での演技は、彼女がこれまでに築いてきた演技の翳りの蓄積の上に成り立つ、次なる段階としての“闇”の表現と見るべきだろう。かつては“無口”や“冷静”といった印象で語られることが多かった齋藤だが、現在の演技にはそれらの静謐な要素を保ちながらも、より積極的に作品の空気を制御する力が備わっている。
たとえば、ドラマ『ライオンの隠れ家』(TBS系)で演じた牧村美央は、過去のトラウマを静かに抱えながらも、責任感と誠実さを体現するキャラクターだった。その翳りはあくまで内に秘められたものであり、齋藤はその微細な感情の揺れを丁寧にすくい取っていた。台詞で過去を説明することなく、人物の歩き方や瞬きの速度から“何かを抱えている”ことを伝えるその芝居は、俳優としての新境地を示すものだった。
一方、実写版『【推しの子】』での星野アイ役は、華やかな仮面の裏に傷を隠し、虚構の中で生きるアイドルという“二面性”の体現だった。齋藤自身のキャリアと重なる点も多く、実体験を通して編まれたリアリティが、視聴者に強い共感と衝撃を与えた。アイドルとしての“完璧な姿”を保ち続けるプレッシャー、ファンとの関係性、そしてその裏で抱える葛藤や孤独――それらを表現する眼差しには、本人の過去が宿っていたようにも見えた。

この2つの役に共通するのは、いずれも齋藤が醸し出す“翳り”が観客の共感や投影を生む余白として描かれていた点だ。だが『恋は闇』での齋藤は、それをさらに一歩進め、観る者を脅かす存在として立ち現れる。観客が感情移入する対象ではなく、むしろ彼らの内面に潜む不安や猜疑心を引き出すスクリーン上の異物としての在り方を獲得している。
齋藤が『恋は闇』で演じるキャラクターは、単なる不気味な脇役ではない。むしろ、物語の根幹に関わる可能性を強く示唆し されている。浩暉と同居しているという事実、そしてその背後に潜む「ホルスの目殺人事件」の存在。名前がみくると判明して以降、彼女の発する一言一言が、視聴者の考察欲を煽る装置となっている。台詞の端々に含まれる曖昧さ、沈黙の持続時間すら、何かのメッセージとして読み解こうとする視線が自然と生まれる。






















