Netflix映画『新幹線大爆破』はなぜ成功? 1975年版への重層的リスペクトに溢れた一作に

面白すぎてびっくりした。Netflix映画『新幹線大爆破』の率直な感想である。直前に、その原典たる東映版『新幹線大爆破』(1975年、以下「75年版」)を再見していたので、「こんな名作のリブートに挑むなんて神をも恐れぬ所業だな!」と思ったりしていたが、そういえば樋口真嗣監督のフィルモグラフィを振り返るとそんな所業のエキスパートでもあった。そういう不安も最良のスパイスとなったのだろう……まったくの杞憂であった。
Netflix版は、2025年の新作映画として万人が楽しめる全方位的エンターテインメントでありながら、75年版に対する深い愛情と敬意に溢れたオマージュとしての魅力も立派に両立させている。もはやファンムービーの域を超えたパワフルな娯楽大作である点は『シン・ゴジラ』(2016年)とも共通しているが、あの破壊的な衝撃性とはまた違った、重層的なリスペクトが本作にはある。
最も驚かされたのは、75年版と「どこまで違うように見えて、実はどこまで同じか」を随所に意識させられる巧妙な作りだ。それは構成からビジュアル、精神性まで多岐にわたり、加えて「まさかの続編」でもある(詳しくは語るまい)。まずは「75年版を先に観ておくこと」を前提として、Netflix版の見どころを取り上げていこう。
実は踏襲されている、ふたつの主軸の「割合」

75年版はさまざまなトピックに富んだフィルムだが、まず特筆すべきは、犯罪パニックアクションとしての「構成の妙」だ。
ストーリーの主軸となるのは、爆弾を仕掛けられた東海道新幹線「ひかり109号」のノンストップ走行&爆弾捜索サスペンス、そして元工場主・沖田(高倉健)をリーダー格とする犯人グループの完全犯罪+逃走計画の成否。この二本柱のドラマが、ちょうど半々ぐらいの割合でスリリングに展開し、言わば人質と犯罪者の両方に感情移入させるトリッキーな作劇が展開する。
対してNetflix版では、爆弾を仕掛けられるのが東北新幹線「はやぶさ60号」に変えられているほか、冒頭から大胆なアレンジが多々加えられている。何より、爆弾を仕掛けた犯人の正体が前半1時間を越えても明かされない、という最大の違いがある。その代わり、車掌の高市(草彅剛)、運転士の松本(のん)ら「はやぶさ60号」の乗務員たちと、JR東日本新幹線総合指令所の管制スタッフが協力して行う危機回避ミッションの数々が、ひたすらハイテンポかつ集中的に描かれていく。さながら75年版の見せ場を惜しげもなく1時間強に凝縮したかのような濃密さだ。

さらに、今回は新たに乗客たちのドラマを盛り込み、パニック映画の定番である個性豊かな群像劇要素も加えている。75年版では巧みなモンタージュで車内の集団パニック状況を映し出していたが、各人のキャラクターまではあまり掘り下げていなかった。今回はその余地を拾い上げ、世相を反映したキャラ設定や、SNSや動画配信サイトといったツールを織り込み、作品に現代性を加味している。たとえば、自撮り動画でメッセージを配信する高校生たちの姿が、2014年に韓国で起きたセウォル号沈没事故を想起させるなど、ハッとさせられる描写も多い。
そして中盤を過ぎたころ、映画はガラリと様相を変え、ここにきてようやく犯人側のドラマが鮮烈に立ち上がる。つまり、75年版とはまったく異なる構成に見えて、実は描写の「割合」はしっかり踏襲しているのだ。
鉄道ファン垂涎の描写と、破壊も辞さない遠慮のなさ

もうひとつの75年版の巨大なトピックといえば、「国鉄の全面非協力」のもとで撮影されたという驚愕の事実である。そんな窮地にあっても、佐藤純彌監督以下スタッフはゲリラ撮影やミニチュア特撮といった様々な手法を駆使し、未曽有の大作を完成させた。その製作上の制約が、巨大組織の冷徹さを描くラストシーンの深い余韻にも繋がり、作品により深みを与えた。
だが今回のNetflix版は、なんとJR東日本の全面協力を取りつけ、75年版ではできなかった描写の数々を実現している。その最たるものが、本物の新幹線の車両に肉薄する鉄道ファン垂涎のカメラワークだろう。たとえば冒頭、一般客には立ち入りできない新青森駅ホーム下スペースからのローアングルを畳みかけ、なめるように流線型のボディを見せつける「はやぶさ60号」の発車シーンは、作り手の鉄オタ魂がこれでもかと炸裂するかのような導入部だ。その後の空撮による走行シーンにも、一切の遠慮がない。
全編に「本物を撮る喜び」が迸る一方、樋口監督はこれまでの作品で培ってきたアナログ特撮+デジタルVFXの合わせ技によるスペクタクル演出を、本作でもたっぷりと盛り込んでいる。そもそも75年版は『ウルトラマン』のデザインで知られる成田亨も参加したダイナミックなミニチュア特撮が見どころでもあった。樋口監督がその仕事にリスペクトを捧げないわけがない。

前半の盛岡駅通過のくだりは、75年版における浜松駅での間一髪の危機回避シークエンスの再現である。「はやぶさ60号」が巨竜のごとく車体をくねらせながらポイントを高速通過する、現実にはありえない特撮のビジュアルは、まさに「これが観たかったんだよ!」と鉄道ファン、特撮ファン、75年版ファンを狂喜させてくれる。
このシーンでさらに驚かされるのは、「はやぶさ60号」が間一髪ですれ違う瞬間、わずかにぶつかって先頭車両の「横顔」に傷をつけるシーンだ。JR東日本がよく許可したものだと思わせる大胆な演出である。重要なのは、ここで傷を負うことで「はやぶさ60号」の主役メカ感が立ち上がり、のちに満身創痍とも言える状態で走り続ける「彼」の献身が活きてくるということだ。特撮・アニメ作品のファン心理を理解する作り手ならではのアレンジといえよう。




















