『地震のあとで』かえるくん役はのんだから成立? 井上剛監督が“天災”を描き続ける理由

『地震のあとで』監督インタビュー【後編】

 村上春樹の連作短編集『神の子どもたちはみな踊る』(新潮社)が原作の全4回のドラマ『地震のあとで』が、NHK総合にて放送されている。

 小説は阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件の起きた1995年を舞台としているが、ドラマでは、1995年の出来事を描いた第1話「UFOが釧路に降りる」以降の時代設定が変更されており、第2話「アイロンのある風景」は東日本大震災の起きた2011年、第3話「神の子どもたちはみな踊る」は新型コロナウイルスのパンデミックが起きた2020年、そして第4話の「続・かえるくん、東京を救う」は、現在(2025年)を舞台にした物語に脚色されている。

 監督を務めたのは、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』では東日本大震災を、NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺』などを手がけた井上剛。

村上春樹の短編をなぜ連続ドラマに? 『地震のあとで』に井上剛監督が込めた“日本の30年”

NHK土曜ドラマ『地震のあとで』は、村上春樹の連作短編集『神の子どもたちはみな踊る』(新潮社)が原作の全4回のドラマだ。  小…

 インタビュー前編(村上春樹の短編をなぜ連続ドラマに? 『地震のあとで』に井上剛監督が込めた“日本の30年”)では、なぜいま『神の子どもたちはみな踊る』を映像化したのか、第1話の裏側などについて聞いた。後編では、リアルとフィクションを行き来する井上の作家性の謎について迫っていく。

日常が崩れて非日常が現れる震災の特殊性

第1話『UFOが釧路に降りる』

――井上さんにとって1995年はどのような年でしたか?

井上剛(以下、井上):阪神・淡路大震災のニュース映像をテレビで見たその日に、仕事でベトナムに行っていました。橋田壽賀子さん脚本のNHK連続テレビ小説『おしん』が今ベトナムでブームだから取材してこいと言われて。今そんなことしていて俺いいのかなぁと思ったのを覚えていて。だから震災の時は、ベトナムの人たちと『おしん』を観ていました。

――『神の子どもたちはみな踊る』の一編「タイランド」みたいな話ですね。

井上:その意味では「タイランド」もやりたかったんです。その時は「なんで俺は今、ここにいるんだ?」とずっと思っていて。別に僕がベトナムに居ても問題はないんだけど、何か落ち着かないんですよ。別に東京に居たからと言って何もできないんですけど、すごく不安を感じました。その後、日本に戻ってきて地下鉄サリン事件が起きた3月は、助監督としてロケハンをしていたのですが撮影ができなくなったことを覚えています。助監督って一見“不審”じゃないですか、行動の仕方が。よく警察から「大丈夫、君たち?」と不審な目で見られて職質されていました。だから、ものすごく不安になる年でした。

――変な年でしたよね。当時、僕は浪人生で高田馬場にある予備校に通っていて、ひとつ間違えればサリン事件が起きた地下鉄に乗っていてもおかしくなかったのですが、この時代のドキュメンタリー番組を観ても、ピンと来ないんですよね。報道番組だと戦争状態だったかのようにシリアスに描かれるのですが、どこかお祭り騒ぎみたいなところもあって、とにかく東京に関しては変な空気でしたね。

井上:1995年は『新世紀エヴァンゲリオン』が放送され、Windows95が発売され、世紀末という言葉も流行った年ですよね。お祭りなんだけど、ちょっと落ち着かない感じがあって、2000年を超えるまではそういう感じがありました。

――『あまちゃん』と『いだてん』を筆頭に、井上さんのドラマはずっと天災を描いていますね。

井上:『いだてん』の関東大震災は歴史を追っていくと必然的に出てくるので逆に描かないと変だと思ったんです。その時点でどれくらいの人が亡くなっているのか歴史になっているのに、描かずに無視して日常だけを描くと逆に日常じゃないと思うので、描いているのだと思います。

――きっかけは『その街のこども』ですか?

井上:その前から天災に対する意識はありました。今思えば、ローカル局で取材していた時に出会ったテーマだと思います。

――『不要不急の銀河』はコロナ禍を描いたホームドラマでしたが、ドキュメンタリーとドラマの2本立てだったのが井上さんらしいと思いました。

井上:ホームドラマとドキュメンタリーの2本立てにすることで「これくらい密だったんですよ、昔は(コロナ前は)」というのをやりたかったんですよね。ドラマの撮影は100人くらいのスタッフがいて全員密な感じでやらないと成立しないお仕事なんです。そんな仕事文化なんです。密にならないようにリモートで撮るというアプローチのドラマが当時は多かったのですが、一方でこの密な感じをやり続けるには(自分たちの仕事をある種正当化するには)、どういう示し方があるんだろうと思った時、ああいう作りになりました。

――2020年のコロナ禍で、一時的に東京の街から人がいなくなった時も1995年の時と同じような気持ちになったんですよね。自分がいつ死ぬかわからないみたいな状況だったので常に緊張はしていたのですが、妙な開放感も感じていた。あの時の感じは1995年の空気と通じるものがあったのかなぁと、第3話『神の子どもたちはみな踊る』を観て改めて思いました。

井上:森山未來くんも言ってましたけど、震災ってある種のお祭りなんだと。言葉は悪いけど。いきなり日常が崩れて非日常が現れるので、悲しいとも違う感情と不思議な感覚に襲われて、ふわふわした気持ちになると言っていましたが、それは僕の中にもあるのかもしれないですね。

リアルを入口としたファンタジー

第3話『神の子どもたちはみな踊る』

――第3話では、コロナ禍の人がいない東京の街を歩いたり、無人の地下鉄に乗っている場面がありますが、とても幻想的でした。毎回不思議だなぁと思うのですが、井上さんの映像ってリアルだけどとてもファンタジックに感じるんですよね。

井上:そうなんですかね?

――リアルを突き詰めた結果、ファンタジックな世界に突入するというか。第4話「続・かえるくん、東京を救う」の新宿歌舞伎町も見慣れた場所なのに幻想的で異界の入り口みたいな映像になっていて、日常と非日常がつながっちゃったような異界にいる感じが、今回は特に強かったなと思います。

井上:本当はたぶん地続きなんですよね。

――井上さんはドキュメンタリー作家的な資質のある方ですが、出来上がった作品が幻想的になるのがとても不思議で。

井上:癖なのかな。自分の中で急にああいうイメージが出てきちゃうんですよね。確かにおっしゃるとおりで、ロケハンをしている時に、ここは廊下が曲がった方がいいなぁと言ってみたり。みんな「ポカン」としていて伝わらないんですけどね。だけど、突き詰めていくとこれはもう「曲がる」としか思えなくなるんですよね。

――見ている世界が独特なんですかね?

井上:そんなことはないと思うんですけど、「廊下を赤くして」みたいに言われてもスタッフはみんな「ポカン」としていて。まぁその時はデヴィッド・リンチ作品のイメージでと言ったので伝わったのですが、第1話で、岡田さんに夢遊病者のように歩かせると言ったときもみんな「ポカン」としていました。どういう映像になっているのか岡田さん自身もわからない状態で演じていたと思います。

――撮っている時はリアルとファンタジー、どちらの比重が大きいのですか?

井上:まずはリアルですかね。リアルを求めた末にバンと弾けちゃう癖があるのかもしれないですね。

――第4話「続・カエルくん、東京を救う」はその最たるものですよね。

井上:あれはファンタジーですね。逆に言うとあれぐらいファンタジーにしないと現在を描くのは難しいなぁと思いました。

――このエピソードは実写化の壁が一番高かったと思うのですが。

井上:「大丈夫?」とスタッフみんなに言われたのですが、そこはみんなを信じて試行錯誤を重ねて撮りました。冒険譚みたいなところも村上さんの作品にはあるじゃないですか。暗闇の中をずっと走っているだけなのに、ものすごくワクワクドキドキする。そして何か違う世界に引っ張られるところが魅力的だった、そんな独特なエンターテイメントにチャレンジしたかったんですよね。

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