『あまちゃん』が名作と呼ばれる理由 朝ドラの“様式美”を踏襲した作劇の凄さを読み解く

『あまちゃん』が名作と呼ばれる理由

 本放送から10年を記念し、『あまちゃん』がNHK BSプレミアムで再放送中だ。BSでの再放送は2015年に次いで2度目だが、SNSには毎日熱い感想があふれ、たびたび番組名ハッシュタグや関連ワードがTwitterのトレンドに上がっている。

 1980年代の音楽やサブカルチャーを元ネタとした「小ネタ」やギャグをふんだんに盛り込んだ、底抜けに楽しい作劇。何度も噛みしめたくなる、キラーフレーズだらけの台詞。ともすると『あまちゃん』は、奇抜で型破りな朝ドラだと思われているかもしれない。しかし意外にもこのドラマは、要所要所で朝ドラの「様式美」をきちんと踏襲しているのだ。

 朝ドラのヒロインは水に落ちがちだ。「ここからヒロインの何かが変わりますよ」ということをわかりやすく伝える映像手法として、「ヒロインの水落ち」は多用される。『あまちゃん』と同じく井上剛がチーフ演出を務めた『てっぱん』(2010年度後期)のあかり(瀧本美織)は、祖母が捨てた母のトランペットを救うために海に飛び込んだ。『カーネーション』(2011年度後期)の糸子(二宮星)は、大事な集金を川に流してしまい、それを追いかけて溺れそうになる。

 『あまちゃん』の「水落ち」は、この“お約束”を「祖母の夏(宮本信子)が突然アキ(能年玲奈/現・のん)を海に突き落とす」という、大胆なシーンへと進化させた。

「飛び込む前にあれこれ考えたってや、どうせその通りにはなんね。だったら、なんも考えず飛び込め。なんとかなるもんだびゃ」

 この夏の台詞は、『あまちゃん』の“作品紹介”と言ってもいい。「地味で暗くて向上心も協調性も個性も華ない、ぱっとしない子」と言われていたアキが自分の殻を破り、海女やアイドルを目指し、とにかくやりたいことに突き進んでいく。文字通り、その背中を夏が押したのだ。ちなみにアキはその後も、悩んでは落ち、テンパっては落ち、失恋しては落ちと、3回も海に落ちている。

 本作にはこのように、従来の“お約束”をさらに誇張・増幅させたような表現がたくさん出てくる。ナレーションもそのひとつだ。シリーズ開始から62年の歴史の中で、さまざまな変遷と試行錯誤を繰り返してきた朝ドラだが、2010年代はすでに「何でもかんでもナレーションで説明するのは野暮」「ナレーションはなるべく少なく」という時期に来ていたはずだ。

 しかし『あまちゃん』は、その頃の時流の逆をいくように、ナレーションが多め。ともすれば野暮になりかねない「ナレーションによる人物の気持ちの説明」がなされるなど、いわゆる「昔の朝ドラのナレーション」をカリカチュアライズしたような風合いがある。しかしこれが、物語が進むうちに効いてくる。

 このドラマには「夏、春子、アキの『三代の物語』」という側面もあり、いわば3人ともがヒロインのようなものだ。ナレーションは前編の「北三陸編」を夏、中編の「東京編」をアキ、後編の「東京〜北三陸編」を春子(小泉今日子)が担っている。前編では夏のナレーションが、若かりし頃の春子(有村架純)の回想に重なり、時に春子の気持ちを語ったりもするが、「あの頃寄り添ってやれなかった娘の気持ち」を夏が反芻しているようにも聞こえる。

 中編ではアキのナレーションが、上京して不安と戸惑いでいっぱいなアキの「独り言」として効いている。震災の日から最終回までのナレーションを春子がつとめるのだが、序盤の春子とは別人のように、穏やかで包み込むような「語り」が印象的だ。これは、娘のアキを介して母の夏と和解し、アイドルになれなかった若かりし日の悔恨を成仏させていく春子の、心理的プロセスのように思えてくる。

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