『御上先生』はなぜ“安心”して観ることができるのか 現実の問題を穿つ制作陣の強い意志

日曜劇場『御上先生』(TBS系)は、脚本を映画『新聞記者』の詩森ろばが執筆し、主演も『新聞記者』の松坂桃李が務めているオリジナルドラマだ。
物語は、文部科学省の御上孝(松坂桃李)が、官僚派遣制度によって、初めて私立高校への出向を命じられるところから始まるが、その同じ日に国家公務員試験の会場で殺人事件が起こった。この事件は、御上が担任を受け持つ隣徳学院3年2組の生徒の一人、神崎拓斗(奥平大兼)が作った学校内の新聞の記事と関係していた……。

御上が私立高校に出向することを、文科省の後輩の津吹隼人(櫻井海音)は「僕はうらやましいです」と言うが、実際には同期の槙野恭介(岡田将生)に裏切られての左遷だったと御上は語る。
神崎は、御上が左遷された背景にある情報もつかみ、校内の新聞に報じる。それを受けて御上は生徒たちに、昨年、文科省からある民間研究機関への天下りが不正に行われていたというニュースが出たが、刑事告訴には至らなかったこと、それを仲介していたのが御上であると事実無根の罪をきせられて左遷されるに至ったことを伝えるのだった。
複雑に絡まるストーリーで、このコラムを書くのも苦労した。しかし、それだけ様々なことがドラマに込められていることの表れであるし、その複雑なストーリーの裏にある、さまざまなテーマが存在していると感じる。そんな中で、このドラマを良いと思ったポイントがいくつかある。
まずひとつは、御上は生徒たちに上から教えるのではなく、考えをゆだねることである。

神崎が教師同士の不倫について報じたことで、女性教師の冴島悠子(常盤貴子)だけが仕事を辞めるという事態に発展し、その報道がさらに公務員試験会場の殺人事件に繋がったという可能性もあるが、そこまでのことがあっても御上は神崎に「報じること」をやめさせようとはしない。
ドラマの中で、御上は生徒たちに南アフリカの写真家ケビン・カーターの写真『ハゲワシと少女』を見せる。ハゲワシに狙われる少女の緊張ある表情ををとらえたこの写真は、報道カメラマンが、被写体を救うか、その瞬間をとらえるかというジャーナリズムにおける問題が存在する。実際には、少女は保護され、カメラマンは自ら命を絶ったという。
報道に関する倫理観がどうあるべきかについては、映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』などにもこめられたテーマであるが、このドラマでも、神崎のしたことを単に子ども扱いして、許しつつも禁止するということはなく、将来、ジャーナリストになりたいのであれば、このことをどう考えるべきかという道筋を示している。そのことで、神崎は、冴島先生を“喰おうとしている”「ハゲワシ」の正体を見ようとしなかったことを反省しつつ、これからでも、それを捕まえることをあきらめないという答えを見つけ出した。
実際、ドラマでは、御上を陥れた「ハゲワシ」の正体をつきとめることが、ドラマの中の問題だけでなく、この国の問題をつきとめたことになるだろう。
このドラマでは、現実に存在する問題に気付かせるシーンもたくさんある。