東映動画から『化け猫あんずちゃん』へ 実写とアニメを横断するクリエイターの歴史

2024年末に公開された『ソニック × シャドウ TOKYO MISSION』は、シリーズ随一の面白さだった。ソニックたち架空のキャラクターがシリーズを重ねるごとにどんどん増えていき、画面の半分くらいがCGアニメーションで占められている。便宜上、実写映画として流通している作品ではあるが、その魅力の半分くらいを担っているのは、生き生きと動くアニメーションキャラクターでもある(魅力のもう半分はジム・キャリーだ)。
そもそも、本シリーズの監督ジェフ・ファウラーは、『Gopher Broke』という短編アニメーション映画がアカデミー賞にノミネートしたことで頭角を現した人物でもある。彼のCGアニメーションに対する造詣の深さがこのシリーズの成功を支えている主要因だろう。
他方、日本では2024年、実写映画の山下敦弘監督とアニメーション作家である久野遥子監督によるアニメーション映画『化け猫あんずちゃん』が発表された。本作は、画面上は全てアニメーション映像でありながら、山下監督のいつもの実写映画のセンスを強く感じさせる作品に仕上がっていた。この2作は、実写とアニメーションの流動性が高くなり、それぞれの領界は融解して溶け合ってきていることの事例だ。
この流れは、今に始まったことではない。実写とアニメーションは、映像の基本原理としての違いはなく、元々分かれていたわけではない。デジタル時代になってその原理が顕著となっているに過ぎない。その結果、両分野の作家がそれぞれのフィールドから逸脱することで、新たな刺激が生まれていけば、新たな映画が生まれていく可能性がある。
日本アニメの実写的演出の歴史
日本アニメの発展の歴史には、実写映画出身の演出家の存在が無視できない。日本の商業アニメの礎を築いた東映動画の演出家陣は、撮影所出身の実写畑の人材によって占められていた。このことが何をもたらしたのか、高畑勲監督はこう語る。
主人公たちに感情移入させるためには、演出も、絵による「面白おかしい見世物的」演出よりは、主人公に寄り添ったいわゆる映画的な演出が要求される。この点、東映動画の演出家は、薮下泰司氏をはじめ、全員がアニメーター出身でない人々によって占められ、新東宝出身の芹川有吾氏や急激な映画産業斜陽化によって東映京都撮影所から流入した実写映画出身者が多かったことには意味があったかもしれない。(※1)
キャラクターの芝居に関しても、アメリカ式の大袈裟な表情や身振りは日本人には合わず、抑制的で自然に見える演技が要求されたと高畑監督は述懐している。作品世界に没入させるために、劇的な構成や表現で現実感・実在感を与えることを基本とし、そのためにもカメラアングルやショット構成などを重視した、リアルな迫力を出す映画的演出を心がけるスタイルが東映動画において定着したという。
同じく東映動画出身のアニメーター、大塚康生は、東映動画以前の日本のアニメーションではアニメーターが必要に応じて自ら演出していたが、映画会社の東映が分業としての「演出」のポジションを持ち込んだとインタビューで述懐している。そして、そのアニメ―ションにおける演出の次元を高めたのが、実写出身の芹川有吾だったと語る。
それまで、演出というほどの演出がなされていなかった東映長編アニメーションに、はじめて本格的な演出手法を持ち込んだのが芹川さん。それ以前の演出家の人たちは、さっき話したとおり、演出家というよりコーディネーター、調整係みたいな感じだった。(※2)
そうした映画的(実写映画的という意味だろう)な演出法が日本の商業アニメにおいて1950~1960年代に確立し、カメラアングルやレンズの選択が重要な要素となっていく。
そもそも、アニメは絵で構成されているが、その実、時代や制作工程によっては絵を一枚いちまいカメラで撮影していて、実写映画同様にカメラは実在する。このカメラの効果を最大限に発揮し、今日の日本アニメに多大な影響を与えたのが、出崎統という監督だ。
出崎監督は、撮影で劇的な効果を高める演出法を数々編み出した。そのうちの一つ「入射光」は今日のアニメでもよく見られるものだが、これはカメラのレンズフレア効果をアニメに持ち込んだもので、強い日差しなどを表現したり、そこにカメラがあるという実在感を強調する定番の演出となっている。出崎監督が入射光を思いついたきっかけは、アメリカン・ニューシネマの代表作『イージー・ライダー』だといわれている(※3)。
この出崎監督を参照して、「映画的」画面作りを学んだ作家に押井守がいる(藤津亮太「出崎統というアニメーション演出家」、『アニメーション監督 出崎統の世界』大山くまお・林信行編著、河出書房新社、P005)。アニメ作品だけでなく実写映画も手掛け、両分野で活躍する代表的な作家で、実写とアニメの違いと共通項にとりわけ自覚的な作家と言える。
押井監督は、絵を描くアニメーターの作業は一見、絵画の制作過程に似ているが、アニメの作画は「工程」の一つであり、アニメの映像は実写映像同様、レンズの特性に依存していると語る。
簡潔に言うなら、正統な<アニメーション>から派生した劇映画としての<アニメ>の映像は、その演出的基準を絵画ではなくむしろ実写映像の記憶に依存しており、そして(これが重要なのですが)実写映像そのものもまた、原理的にはレンズという物理的(光学的)特性に依存しているだけであって、決して美学的な概念や規範から生み出された訳ではないということです。(※4)
押井守監督といえば、「デジタルの地平で、全ての映画はアニメになる」という言葉を残したことでも有名で、デジタル技術の発展で、実写映像もCGもコンピューター上で等価なものとして自在に変形可能となった映像世界を予見していた。『ソニック』シリーズのような作品は、その押井監督の言葉の延長線上にあるものだろう。
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レンズの特性だけでなく、別の方向から実写とアニメの差異と共通項にアプローチする作家として、庵野秀明の名前が挙げられる。庵野監督は『新世紀エヴァンゲリオン』以後、『ラブ&ポップ』を皮切りに実写映画を制作する時期が続いた。
この理由と経緯は、拙著『映像表現革命時代の映画論』に詳しく書いたが(※5)、要約すると、アニメの虚構性に一度限界を感じ、実写に転向するが、実写作りではリアリティを削る方向へとベクトルが向けられた。その後、実写とアニメのハイブリッドジャンルとも言える「特撮」の感性に自身の原風景を見出し、実践していく、となる。
実写と日本アニメは基本的な演出原理を共有しており、アニメは折に触れて実写からの刺激を受けて発展してきた。画面を構成するものが、生身の人間か、絵かの違いはあっても画面の構成方法自体に大きな差異はなく、映像の原理は同じである。
映像の進化や発展の歴史をややはしょって、海外に目を向ければ『アバター』のような作品も登場している。この作品は、生身の俳優のモーションキャプチャデータを元に、CGキャラクターの身体を動かすという手法で制作されており、画面に写るキャラクターの大半が、CGで構成されている。俳優に依拠しているという点で実写映画的だが、画面はアニメーションであるという作品で、実写とアニメーションを区別することの意味が消失しつつあることを示す例だ。