東映動画から『化け猫あんずちゃん』へ 実写とアニメを横断するクリエイターの歴史

実写とアニメーションを横断する作家たち
実写とアニメーションを区別する意味がなくなれば、それぞれの領域で活動する作家の交流も俄然増えるだろう。だが、日本アニメの歴史を振り返ると、歴史の分岐点のいくつかには、実写とアニメーション、両分野で活躍した人が立っている。
日活出身の映画監督、舛田利雄は『宇宙戦艦ヤマト』の監督としても名を残している。大林宣彦の『少年ケニヤ』のように、アニメでも作家性を発揮した作品もある。前述した芹川有吾、押井守や庵野秀明も重要な作家であり、その他、原恵一監督は2013年に『はじまりのみち』という実写映画を発表している。
アメリカに目を向けてみると、国際映画祭やアカデミー賞で受賞する巨匠クラスで、実写とアニメーション両方の分野で活躍する才能がすでにいる。ティム・バートンやウェス・アンダーソン、ギレルモ・デル・トロにリチャード・リンクレイターといった才能は、実写とアニメーションどちらでもその作家性を存分に発揮している。
デジタル化によって実写映画にもアニメーション要素が求められることが増えるにつれて、アニメーション出身者が実写映画の監督を務めることも珍しくない。『ソニック』シリーズのジェフ・ファウラーの他、『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』のブラッド・バード、『ヒックとドラゴン』実写版は引き続きアニメーション版のディーン・デュボアが務めている。日本では、山崎貴や曽利文彦といった名前が挙げられる。デジタルアニメーションの作り方に長けた人間でないと作れないようなタイプの作品は、確実に増えており、今後もこういう人材が増えていくだろう。
一方、『化け猫あんずちゃん』のように手描きのアニメーション作品を実写監督と共同で制作する事例は、アニメーションの技術的素養を持たない実写の作家の感性を活かす方法として注目できる。アニメーション側の監督を務めた久野瑤子は、実写映像をトレースするロトスコープという手法を得意にする作家で、実写映像のテイストを損なうことなく、アニメーションの映像を作り上げることができる存在だ。この共同作業によって、『化け猫あんずちゃん』は山下監督のテイストを維持したまま、アニメーション作品として成立する新鮮な作品となった。
久野監督は、岩井俊二監督のアニメーション作品『花とアリス殺人事件』でも、ロトスコープによるアニメーション作りを担当している。実写の監督のテイストをそのままアニメーションに引き継がせることに長けているのだろう。
映像は、実写であれアニメーションであれ、静止したコマの連続で成り立っている。違いがあるとすれば、リアルな人物や風景が映っているのか、絵なのかといったテクスチャーの違いでしかない。これまで、実写の監督はリアルなテクスチャーを、アニメーション監督は絵のテクスチャーを用いていたが、これからの時代はそのようにすみ分けず、作品のテーマや内容に沿って、自由にテクスチャーを選ぶ時代になっていくと筆者は考えている。実写かアニメかの二項対立を超えて、様々なテクスチャーを選ぶ時代になると、映像は今よりも一層進化していくと思う。
引用・参照
※1. 高畑勲「60年代頃の東映動画が日本のアニメーションにもたらしたもの」、『作画汗まみれ 改訂版』(大塚康生著)所収、文春ウェブ文庫(Kindle版)、https://a.co/aseKvYE
※2. 大塚康生・森遊机『大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽』、実業之日本社、P245
※3. 第7回 出﨑 統さん(アニメーション監督)その3|練馬アニメーションサイト https://animation-nerima.jp/enjoy/kyojin/vol07/
※4. 『Methods:押井守「パトレイバー2」演出ノート』角川書店、1994年12月、P140
※5. 杉本穂高『映像表現革命時代の映画論』所収「第3の空間『シン・エヴァンゲリオン劇場版』、星海社新書、P107






















