アニメ『ブルーロック』の“作画”について考察 日本式リミテッドアニメーションの可能性

『ブルーロック』と日本式リミテッドの系譜

とはいえ、トーマスやジョンストンが作り上げたアニメーションの作画表現は、今日、「フルアニメーション」と呼ばれる、1秒間に24枚(1コマ打ち)、ないし12枚(2コマ打ち)の動画を用いる、なめらかな動きの作画スタイルである。『ブルーロック』をはじめとする、日本の多くの「アニメ」の作画は、これとは大きく異なっている。
今からほぼ60年前の1963年、マンガ家の手塚治虫率いる虫プロダクションが、『鉄腕アトム』(1963-1966)によって、現在まで続く毎週30分枠の連続テレビアニメを生み出した。よく知られるように、この時、連続テレビアニメ制作にかかるさまざまな省力化のために、一種の必要悪として手塚が導入したのが、フルアニメーションよりも少ない1秒間に8枚(3コマ打ち)という、作画枚数をあえて減らして動きを簡略化したり、過去の動画を再利用したりする「リミテッド・アニメーション」という技法だった。この「止め絵」や「バンク・システム」、「口パク・目パク」といった技法を駆使する「日本式リミテッド」で作るテレビアニメが、戦後日本独特の「アニメ」を発展させた、というのがアニメ史の通説になっている。
このように文脈を立てるとわかるように、『ブルーロック』のパワポ作画は、明らかに戦後日本アニメの日本式リミテッドの系譜を背負った表現になっていることがわかる。しかも、手塚の日本式リミテッドを「出崎演出」と呼ばれる独特の映像演出にまで発展させた出崎統が、「3回クイックパン」や「画面分割」といったリミテッドアニメの技法を体系的に用いたのも、スポーツアニメの『あしたのジョー』(1970-1971)だった。そもそも今回、『ブルーロック』が「紙芝居」と揶揄されているのも象徴的だろう。草創期のテレビ番組やテレビアニメもまた、「動く紙芝居」「電気紙芝居」と揶揄されていた。
例えば、以下の90年代の宮﨑駿の発言は、日本のリミテッドアニメの時間表現について語ったものだが、そのまま『ブルーロック』の特徴をなぞっている他、ここでも具体例としてスポーツアニメ(『巨人の星』)が言及されている。
マンガというのは、時間と空間を際限なくデフォルメすることが出来るんです。古い例ですが、「巨人の星」で、飛雄馬が一球投げる間に、その一話が終わってしまうことがある(笑)。その一球に、人生すべてが籠って、いろんな回想が渦巻いて球が飛んでる間に、そんなことが描かれる。こういうことをやってる民族は世界でもあんまりないと思うんです。
時間と空間が際限なくデフォルメ出来るというのは、何もマンガに始まったことではなくて、この民族は好きなんです。講談を聴くと分かります。曲垣平九郎が愛宕山の石段を登っていくシーンなんて、ある種のアニメーションにそっくりです。「ハイヨー! パパパパッ」って馬に乗って行きますよね。カットが目に浮かびますね。講談ってのは、際限なく時間を歪曲するんです。[…]
[…]そういうことは日本人の血の中に流れてるんです。そういうのが好きなんです。アニメーションっていう方法やマンガという媒体を手に入れた時に、それがワーッと出て来るんです。(「アニメの世界とシナリオ」、『シナリオ』1995年1月号)
ちなみに、ここで宮﨑は図らずも、アニメとマンガを並べて語っているが、止め絵が多い戦後のテレビアニメがなぜここまで違和感なく視聴者に受容されたのかという理由づけの1つに、テレビアニメ以前に、日本の大衆文化では、すでにストーリーマンガが確立されており、当時の子どもたちはテレビアニメを「アニメーション」というよりも、いわば「動く連載マンガ」として観ていたからだ、という仮説がある(最近もアニメ・特撮研究家の氷川竜介が強調しているように、当時のテレビアニメは、特撮や人形劇などとともに「テレビまんが」と呼ばれるハイブリッドなメディアとして認識されていた)。なんといっても、テレビアニメの創始者は、戦後日本のストーリーマンガの創始者で「マンガの神様」でもあるのだ。その手塚がほぼ唯一(?)苦手としたジャンルがスポーツものだったというのも皮肉だが、私はこれはかなり説得力のある仮説だと思っている。つまり、戦後のテレビアニメは、そもそも紙芝居と同じ紙メディア=マンガと同一視されて受容されていたのだ。
したがって、『ブルーロック』のキャラクターの顔のアップの止め絵とそこに被さるモノローグも、いかにも日本のテレビアニメ的だ。しかも、『ブルーロック』のようなスポーツアニメの場合、試合中は身体を過剰に動かしている設定のため、止め絵(つまり唇が動かない)にモノローグを重ねる演出に違和感がない(こうした演出は、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』[1995-1996]のあの伝説的な最終回の演出すら思わせる)。
『ブルーロック』作画の可能性
以上のように、『ブルーロック』の紙芝居/パワポ作画もまた、戦後日本のテレビアニメの伝統的な作画スタイルの系譜を考慮に入れると、また違った楽しみ方が可能になるだろう。
例えば、授業などで最近の学生に「日本のアニメに見られる特徴は?」と訊ねると、一定数が「海外のアニメと違って、日本のアニメは実写のようなリアルな作画でキラキラしている」と答える。おそらく新海誠や京都アニメーションなどの作画が想定されているのだろうが、そうした絵柄の浸透も、せいぜいここ15年ほどのことにすぎない。今のZ世代からは、それ以前のリミテッドアニメ由来の日本のアニメの表現や演出が急速に忘却されているように思われる。そうした中で、まさに「紙芝居」「パワポ」とネタ的に形容される『ブルーロック』は、かつての日本アニメのユニークでハイブリッドな映像表現の歴史性やそれにまつわるリテラシーを意識化させてくれるだろう。
あるいは、『ブルーロック』のような映像表現もまた、現代の最先端の映像文化へと接続可能な要素を含んでいるかもしれない。『劇場版アイドリッシュセブン LIVE 4bit BEYOND THE PERiOD』(2023)などのアイドルアニメで使われたような、モーションキャプチャと3DCG、バーチャルカメラで創出される昨今のアニメキャラクターのイメージは、すでにしばしば言われるように現代のVTuberのキャラクターとも接近している。しかし、一方で『ブルーロック』にも見られるような、日本式リミテッドの基本要素である動きの抑制(止め絵)や声(台詞)の比重の高さは、以前、映画研究者の北村匡平が指摘したように、やはり「にじさんじ」所属の月ノ美兎に代表される2DVTuberのイメージと近い(「デジタルメディア時代の有名性」、『ポストメディア・セオリーズ』所収)。そう考えると、リミテッドアニメ固有の特徴を示す『ブルーロック』も、現代の混淆する映像文化やアニメの状況の中で、面白い考察が可能な位置を占めているかもしれない。
盛り上がるスポーツアニメの中で、2024年のユニークな成果として、パワポ化する『ブルーロック』の映像表現を捉えることもできるだろう。
参考
※1. https://toyokeizai.net/articles/-/845535
■放送情報
TVアニメ『ブルーロック VS. U-20 JAPAN』
テレビ朝日系にて、毎週土曜23:30〜放送
各配信プラットフォームにて配信
キャスト:浦和希(潔世一役)、内山昂輝(糸師凛役)、海渡翼(蜂楽廻役)、島﨑信長(凪誠士郎役)、中村悠一(士道龍聖役)、古川慎(烏旅人役)、河西健吾(乙夜影汰役)、江口拓也(雪宮剣優役)、三上瑛士(氷織羊役)、波多野翔(七星虹郎役)、斉藤壮馬(千切豹馬役)、内田雄馬(御影玲王役)、諏訪部順一(馬狼照英役)、花江夏樹(二子一揮役)、鈴木崚汰(鰐間淳壱役)、小西克幸(蟻生十兵衛役)、仲村宗悟(我牙丸吟役)、松岡禎丞(雷市陣吾役)、市川蒼(五十嵐栗夢役)、興津和幸(剣城斬鉄役)、立花慎之介(時光青志役)、幸村恵理(帝襟アンリ役)、神谷浩史(絵心甚八役)、櫻井孝宏(糸師冴役)、日野聡(オリヴァ・愛空役)、若山晃久(閃堂秋人役)
原作:『ブルーロック』原作・金城宗幸/漫画・ノ村優介(講談社『週刊少年マガジン』連載)
監督:生原雄次
アニメーション監督:杉本研太郎、楠本巨樹
シリーズ構成・脚本:岸本卓
ストーリー監修:金城宗幸
キャラクターデザイン・総作画監督:田辺謙司
総作画監督:もりともこ、清水空翔
アクションディレクター:興村忠美
チーフ3Dレイアウター:佐久間澪
プロップ・衣装デザイン:もりともこ、飯田香帆
作画特殊効果:あかね
色彩設計:小松さくら
美術設定:佐久間澪
美術監督:三宅昌和
背景:Creative Freaks
撮影監督:浅黄康裕
撮影:チップチューン
3DCGディレクター:山下智基・生原雄次
3DCGチーフアニメーター:広沢範光
3DCG:オーラスタジオ
スペシャルコンポジター・グラフィックワーク:生原雄次
特殊効果処理:山田可奈子
編集:長谷川舞(エディッツ)
音響監督:郷文裕貴
音響制作:ビットグルーヴプロモーション
音楽:村山☆潤
プロデューサー:有澤亮哉、佐藤尚哉、川勝宥典、岩田皐希
アニメーションプロデューサー:小菅秀徳
アニメーション制作:エイトビット
製作:「ブルーロック」製作委員会
©金城宗幸・ノ村優介・講談社/「ブルーロック」製作委員会
公式サイト:https://tv.bluelock-pr.com/





















