草彅剛にシャイロックが憑依する 舞台『ヴェニスの商人』が令和の時代に上演される意味

草彅剛が『ヴェニスの商人』で見せる二面性

 その一歩で、わかった。草彅剛には今、シャイロックが憑依している、と――。

 草彅剛の主演舞台『ヴェニスの商人』の公開舞台稽古が、12月5日に東京・日本青年館ホールにて行われた。

 『ヴェニスの商人』といえば、1594年から1597年の間に書かれたとされているウィリアム・シェイクスピアの傑作である。すでに400年以上に渡って上演されてきた舞台だけに、話の展開も笑いどころも多くの人が知っているところだ。そんな不朽の名作だからこそ、誰が、どのように演じるのかが際立つ作品だ。

 さて、今回の舞台はどのような『ヴェニスの商人』になるのか。そう期待を高めていると、幕が開くやいなやキャスト全員がぞろぞろと舞台に姿を現したので驚いた。そして、そのまま一列に座ってジッと客席を見つめるのだ。その一瞬の静寂はとても奇妙な感覚で、またたく間に私たち観客を中世イタリアを舞台にした非日常へといざなってくれた。

 大掛かりなセットはない。使用されるのは、椅子や天秤、ナイフといった最小限の小道具と衣装のみだ。その衣装チェンジも、奥に座ったキャストが、タイミングを見計らってすっと立ち上がり、そのまま舞台上で着替えていく。その姿に、もしかしたら400年以上前に上演された舞台もこんな感じだったのではないかと思うほどだった。

 ここはイタリア・ヴェニスなのか、架空の都市・ベルモントなのか。あるいは、屋敷の中か、法廷か。飾りが極限まで削ぎ落とされた舞台においては今、目の前に広がっている景色がどこなのかも、キャストによる長尺ゼリフと観客の想像力に託される。それは、この舞台全体が、劇中でバサーニオ(野村周平)が選んだ鉛の箱のように、上辺だけではない本質的な美徳について考えさせられる仕掛けになっているようだ。

 そうしているうち、奥に座っていた草彅の出番がやってきた。彼が演じるのは「稀代の悪役」とも言われてきたユダヤ人高利貸しのシャイロック。白髪が混ざったヘアメイクをしているものの、そこに座っていたときは私たちが知る草彅剛そのものだった。しかし、立ち上がり一歩踏み出した瞬間、強烈な違和感に襲われた。

 「あ、この人は今別人格なのだ」と思わせる足取り。そして、少ししゃがれた声色。それはストイックな彼が舞台期間中になるとたびたび喉を枯らしてきたことを考えれば、そこまで予想外のことではなかったはず。だが、シャイロックとしての立ち振る舞いとあまりにもしっくりきすぎていてゾクゾクさせられた。

 さらに、草彅の演じるシャイロックの違和感は続く。それは、前評判とは異なり「本当にシャイロックは“稀代の悪役“」なのだろうか、という疑問が浮かんでくることだった。ユダヤ人の高利貸しはシェイクスピアが生きていた時代にはきっと、異端と呼ばれることが当たり前のことだったのかもしれない。そんな借金の利子を取ることそのものを良しとしない人々にとって、担保として情に厚いヴェニスの商人・アントーニオ(忍成修吾)の肉1ポンドを求めるなんぞ、人でなしもいいところだ、と。

 だが、シャイロックに扮した草彅の熱弁は、現代を生きる我々にとっては正論に聞こえる。金利で商売することも、法が定める範囲内であれば何も悪いことはしていないように感じる。むしろ、アントーニオからユダヤ人だからと日常的に唾を吐きかけられ、暴言を吐かれ、商売の邪魔をされてきたことを考えると、彼に対して憎悪する気持ちさえわかるくらいだ。

 この感情は時代が変わったからというだけではないだろう。何より草彅の鬼気迫る言い回しに、彼の正義が構築されるまでどれほどの苦悩があったのかを推測せずにはいられないのだ。にもかかわらず、人々はシャイロックに「慈悲の心を見せろ」と迫る。

 だが、シャイロックはひるまずに「奴隷に対して同じようにしたらいかがか」と反論する。彼らが買った奴隷に対して慈悲の心を見せることがないように、自分もアントーニオの肉を買ったのだからその必要がないのだという主張は、シャイロックが100%間違っているとも言い切れない気がする。

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