『お別れホスピタル』が視聴者に投げかける“答えのない問い” すべての人が向き合うべき時間
『お別れホスピタル』(NHK総合)は、日の出前、5時40分の光景から始まった。まだ互いを知らない本庄(古田新太)と辺見(岸井ゆきの)が、同じ景色を見て、煙草を吸う。辺見の髪を揺らす海風と、辺見の手から吹き飛んで本庄によってキャッチされたピザのチラシの画像から伝わってくる僅かな温もりによって、寒く、それでいて凛とした早朝の空気感が手に取るようにわかる。
この第1話冒頭約3分間に、本作の全てが集約されていると思った。「仕事終わったら行こうと思って」いるピザ屋のチラシと、出勤途中であることがわかる慌ただしさから漂う辺見の「働いている人にとっての日常の一部」感。
彼女にとって、日の出の光景は、その後も療養病棟で誰かが亡くなり、翌朝新しい患者を迎えるという過程が繰り返されるごとに何度も映し出されることからわかるように、決して珍しくない光景だろう。それだけ彼女の日常は、誰かの死とともにあるということだ。片や本庄の眼差しは、辺見とのやり取りの端々に、健康である彼女の日常への羨望をさりげなく滲ませ、辺見と別れた後に苦痛に歪む表情といい、そう遠くない未来に訪れるのだろう自分の人生の「終わり」に向かっている。死を前にした人と、この先も生きていく人のほんのつかの間の邂逅。そしてその物語は、全4話にして、あまりにも濃厚に、生と死と愛を描く。
『お別れホスピタル』は、末期がんなど重度の医療ケアが必要な人や、在宅の望めない人を受け入れる療養病棟を舞台にした看護師と患者と家族たちのドラマだ。沖田×華による同名コミック(小学館)を原作に、同じく沖田×華原作(『透明なゆりかご~産婦人科医院 看護師見習い日記』講談社)である2018年放送のドラマ『透明なゆりかご』(NHK総合)に続き、『おかえりモネ』(NHK総合)、『きのう何食べた?』(テレビ東京系)の安達奈緒子が脚本を手掛けた。
また、とことん「死」の現場と向き合う柴田岳志演出の第1、2話と、ケアワーカーの南(長村航希)や、辺見の妹・佐都子(小野花梨)らの葛藤と、彼ら彼女たちなりに前に進む姿を描くことで光を見せる笠浦友愛演出の第3話(第4話も担当)と色合いが異なり、全体的に希望へと向かっていく構造になっているのも興味深い。
本作は、各話に「問い」と「答え」が用意されている。序盤と終盤における、辺見のモノローグによるものだ。
例えば、第2話では「人は愛に生きる。なんてどこかで聞いたけど、本当だろうか」という問いに対し「人は愛に生きるのかもしれない。でも、それは、美しいけれど残酷で、最後はどっちも抱えていくしかないんだ」という答え。
第3話では「頼りない命を前にして、人は最後に何を望むんだろう」という問いに対し「人が最後に望むものは希望だと思う」という答えが用意されている。ただし、第1話は例外である。「私は死ぬとき、どんな風に死ぬのだろう」という問いに対し、「自分で決めるのが一番いい? そうとも限らないと思う。死ぬって、何だろう」と、さらに大きな問題を提起するのが第1話。同じ病室の女性3人(丘みつ子、松金よね子、白川和子)の死や、本庄の死と、立て続けに患者が亡くなる回であるところの第1話は、療養病棟の過酷さを視聴者に突きつけるばかりでなく、生者と死者のいる場所の境界線を実に見事に描いていた。