【追悼・山田太一さん】テレビドラマと脚本家たちに残したあまりにも大きな道標
11月29日、脚本家の山田太一が亡くなった。享年89歳。覚悟はしていたが、訃報を聞いて気持ちが大きく落ち込んでしまった。
日本のテレビドラマとドラマ脚本家に山田太一が残した功績は多大なもので、彼がいなければ、現在のように脚本家を主語にしてテレビドラマが語られる状況は生まれていなかっただろう。
1958年に松竹大船撮影所・演出部に入社した山田は、助監督として木下惠介監督に師事。木下がテレビに移った際に企画したドラマ『まごころ』(フジテレビ系)の脚色を担当。
その後、1965年に松竹を退社しシナリオライターとして独立し、『木下惠介アワー』で執筆した初の連続ドラマ『3人家族』(1968年/TBS系)が、ナレーションによる心理描写を駆使したホームドラマとして高く評価される。
何より大きな転機となったのは、鶴田浩二が演じる特攻隊出身のガードマンを主人公に、様々な人間模様を描いたドラマ『男たちの旅路』(1975年/NHK)だろう。
本作は「土曜ドラマ 山田太一シリーズ」と銘打たれていた。
1975年にスタートした土曜ドラマは、松本清張、城山三郎といった小説家の名やサスペンス、SFといったジャンル名を看板にする一方で、山田太一、向田邦子、市川森一といった脚本家の名前を看板としたドラマシリーズが作られていた。
脚本家が書くオリジナルドラマが「小説に匹敵する価値がある」のだと打ち出したのが「土曜ドラマ」であり、その中心にいたのが山田太一だった。
その後も山田の快進撃は止まらず、一見幸せそうに見える中流家庭の崩壊と再生を描いた辛口ホームドラマ『岸辺のアルバム』(1977年/TBS系)、24歳の女性3人が結婚前の「想い出」を作ろうとする姿を描いた『想い出づくり。』(1981年/TBS系)、四流大学に通う大学生の若者たちの青春を描いた『ふぞろいの林檎たち』(1983年/TBS系)、元写真家の男が、平和で平凡な日常を送る家族に揺さぶりをかける姿を描いたヒューマンドラマ『早春スケッチブック』(1984年/フジテレビ系)といった、日本のテレビドラマ史に燦然と輝く名作を次々と送り出していった。
どの作品も一見、平和に見える戦後の中流家庭の鬱屈や不安を燻り出す物語となっており、主人公は特別な人間ではない、どこにでもいる市井の人々たちだった。
山田が書いた脚本は、今のテレビドラマの型となっている。
今年の作品で言うと、岡田惠和脚本の『日曜の夜ぐらいは...』(ABCテレビ・テレビ朝日系)が、『想い出づくり。』の影響がうかがえるドラマで、同じく岡田が『想い出づくり。』に影響を受けて執筆した『彼女たちの時代』(1999年/フジテレビ系)を並べると、昭和、平成、令和というそれぞれの時代に、20代の女性が置かれていた社会的状況が理解できる。
他にも、河野英裕がプロデュースし、今井太郎が脚本を執筆した『だが、情熱はある』(日本テレビ系)や、今年、続編が映画化された宮藤官九郎脚本の『ゆとりですがなにか』(日本テレビ系)といった冴えない男たちの青春群像劇には『ふぞろいの林檎たち』の影響が強くうかがえ、彼らの作品を観ると、山田太一の遺伝子が後続の世代に引き継がれていることがよくわかる。