『どうする家康』山田裕貴が「俺は認めぬ」に込めた思い 本多忠勝として台本を超えた瞬間

山田裕貴、本多忠勝として台本を超えた瞬間

 最終回まで残り約1カ月となったNHK大河ドラマ『どうする家康』。数多の戦を経て、第1回から登場していた徳川家臣団が次々と退場をしていく中、現在まで家康(松本潤)を支え続けているのが、徳川四天王の一人・本多忠勝(平八郎)だ。“戦国最強”とも謳われた武将を説得力を持って演じているのは山田裕貴。1年以上にも及ぶ撮影の中で、山田は本多忠勝として何を思ったのか。

「俺は認めぬ」の裏側

――本多忠勝(平八郎)を演じる上で、山田さんがこだわっていたことはなんですか?

山田裕貴(以下、山田):“人間”のことを大切に思うという点です。それは彼が身につけていた兜からも感じられたことでした。兜に鹿の角が付いているのは、戦で逃げようとして道に迷った時に、鹿に導いてもらったことが理由です。肖像画にも描かれている肩にかけた大数珠は、自分が殺した者も失った人も全部を背負って戦うという意味合いが込められているそうで。そこまでして他人の思いを背負う人だというのは第1回から念頭に置いていました。だから、人のことをそこまで思えるのであれば、誰かのために涙を流したりすることは当たり前にできるんじゃないかと思うんです。忠勝には「剛」のイメージがあると思いますが、実は繊細で、いろんな人の思いを受け止めて戦っているんだろうなと思っていました。例えば、セリフを一言も発していない時でも殿(徳川家康)を見つめる目線はこだわっていました。僕は、忠勝がどうやって殿の隣にいたんだろうということを特に考えていました。殿に自分の思いを吐けるシーンはあまりなかったので、佇まいだけで殿をどう思っているか見せていかなくてはいけない難しさはずっと感じていました。関ヶ原の戦いに関して言えば、忠勝は前線にいるものだと思っていたんですけど、実は殿の一番近くにいるんです。それはもしも味方に裏切られた時、殿を守れるように準備していたんじゃないかと。忠勝は殿の命を最優先に考えて、この戦いで死んでもいいとまで思っていたのではないかと感じていました。

――家康を演じる松本潤さんとの現場でのやり取りを教えてください。

山田:第1回から登場していた徳川の家臣団で、関ヶ原に出ていたのは僕しかいなかったんです。殿(=松本潤)と一緒に「違うドラマみたいだね」なんて言っていたのですが、逆にそれは本当に申し訳ないことであるとも思っていました。というのは、殿も(大森)南朋さんとか松重(豊)さんのような先輩の方が相談しやすいと思うので。殿の力になれてるのかなっていうのは、ずっと思いながら現場にいました。でも、いつだったか正確には覚えていないのですが、本当に一度だけ、「この言い方さ、もっと(強く)言った方がいいかな」って聞いてきてくれた時は救われました。息子の秀忠(森崎ウィン)に対して、「強く当たった方がいいのかな」と。「ようやく聞いてくれた」って嬉しかったです。だから、現場でも殿に何かあった時のために寄り添っていようっていうのは、平八郎と同じ感覚だったかもしれません。こちらから何か言うわけでもなく、ただじっと何かあればという感覚ではいましたね。

――命に代えても殿を守るというような忠義は、いつ頃忠勝に芽生えていったのですか?

山田:種明かしをしてしまうと、第2回の大樹寺でのシーンで、殿を目の前にした忠勝が1歩だけ下がってるんです。殿が腹を切ろうとして、パッと“虎の目”になった時。そのシーンは「足元の寄り」を映したわけでもないし、ちょっとした動きで1歩下がってるんですけど、それ以降、たとえ織田信長(岡田准一)が来ても武田信玄(阿部寛)が来ても、1歩下がることはやめようと。俺のことを1歩退かせたのはこの男しかいないというのを勝手に自分の中で決めていました。これは台本のト書に書いてあったわけでもなく、「僕はこう思うんです」と演出の方に話していただけなんですけど、結果的に第44回で「いつから認めていたんじゃ」と聞かれた忠勝が「大樹寺」って答えるセリフがあったんです。それは自分が演じてきた忠勝の思いが、最後の最後で伝わった瞬間だと思っています。視聴者の方には、忠勝は家康のことをだんだんと認めていくんだろうと思わせておいて、実は第2回の時点で認めていたという、逆の発想です。忠勝の夢は殿を守って死ぬことだったので、あの時点で心打たれていないと、「俺は認めぬ」と言いながらいつまでたっても家臣団としていなきゃいけないのは苦しいと思って、第2回ですでに認めているということに僕はしました。

――「俺は認めぬ」というセリフが初めて出てきたのは第1回でした。

山田:第1回のラストで、家臣団が「どうなさる!」と殿に詰め寄るシーンで、忠勝のセリフは台本上では「……。」しかなかったんです。でも、なかなかカットがかからなくて、なんか言いたくなって「俺は認めぬ」と言っちゃいました。そこにはなんの計算もなく。そういう時に、「俺はちゃんと役を生きられているんだな」と思うんですよね。台本を超えられる瞬間というか。台本の範疇は、僕の中ではお芝居をしている感覚なんですけど、台本を超えた瞬間から僕はようやく役を生きることができたと感じられるんです。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる