『セクシー田中さん』木南晴夏が最高にカッコいい 生見愛瑠と一緒に“魔法”にかかる日曜日

『セクシー田中さん』“魔法”にかかる日曜日

 23歳、コミュ力も高く愛嬌抜群、若さもかわいさも持ち合わせる派遣OL・倉橋朱里(生見愛瑠)の熱烈な“推し活”が始まった『セクシー田中さん』(日本テレビ系)第1話。

 そのお相手は、社内にいる。昼間は“経理部のAI”と呼ばれる真面目で地味なアラフォーOLで、夜はペルシャンレストランでエキゾチックなダンスを披露するベリーダンサーSaliに大変身を遂げる、田中京子(木南晴夏)だ。

 彼女のダンスは確かにセクシーには違いないが、誰に媚びることもなく終始“自分が自分であること”を喜び楽しんでいるかのようなカッコよさと潔さがあり、この身体丸ごと他の誰でもない自分自身のためにあるのだと雄弁に語ってくれているかのようだ。そこに他人からの評価が入る隙はない。

 職場でも人気者で、デートに行く相手にも事欠かない朱里だが、自分のその価値がゆくゆく目減りしていくものだということを常に突きつけられ傷ついてもいる。望むと望まざるとにかかわらず、常にその土俵にしか立たされず、まず第一に“若さ”と“かわいさ”でしかジャッジしてもらえない。“かわいい”と愛でられながらも、それは翻って自身を脅かし上回るような存在になり得ることのない庇護の対象だとはなから見なされることでもある。

 その“ガラスの天井”に度々頭をぶつけながらも、需要があるうちに“安定した足場”を求めるべく“リスクヘッジ”のために合コン三昧の日々を送っている自分自身にも辟易している朱里の虚無感を、田中さんことSaliの“自身を解放していく”ダンスが塗り替えていく。本来、好きな格好をするのに、好きな丈のスカートを履くのに誰の許可も要らないし、誰かに服装や生き方を“痛い”なんてジャッジされる筋合いもない。なぜ女性ばかりが“賞味期限”“市場価値”のような他者評価にさらされ続けなければならないのか。

 田中さん役を演じる木南晴夏がこの両極端な2つの顔を自由自在に行き来しながら、同一人物であることをあまりに自然に見せてくれ、これ以外の配役は考えられないと改めて思わされる。ベリーダンスに熱中している時の妖艶さはもちろん引き込まれるような吸引力を持ちながらも、彼女自身も踊りながら新たな自分自身と出会い直し向き合い、認めようとしている最中にあることが伝わってくる。踊りながら田中さんは他でもない自分自身を抱きしめ許しているかのようだ。その不完全さや実直さこそが朱里を虜にしているようにも思える。

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