【ネタバレあり】灰原哀というキャラクターのためにあった『名探偵コナン 黒鉄の魚影』

灰原哀のためにあった『黒鉄の魚影』

 2022年に公開された『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』では、渋谷の街をひとしきり大混乱に陥れたといえども、近年の劇場版シリーズの醍醐味でもある“爆破”は人の気配もまばらな路地裏にある雑居ビルのみにとどまり、渋谷の街を象徴する構造物の爆破とまではいかなかった。そのフラストレーションを打破するためなのかどうか、今年の『名探偵コナン 黒鉄の魚影』では、八丈島から少し離れた海上に浮かぶ“パシフィック・ブイ”なる実に先進的な構造物が舞台となる。そうなればもう、何がどうなるのかは確約されたようなものだ。

 八丈島へホエールウォッチングに訪れたコナンのもとに、沖矢昴=赤井秀一から一本の電話が入る。それを受けて嫌な予感を感じ取ったコナンは警察関係者の船に潜り込み、近海にあるユーロポールの施設“パシフィック・ブイ”へと潜入。世界中の防犯カメラシステムをつなぐこの施設では、ある新技術の研究が行われていた。そんな矢先、女性研究者が拉致される事件が発生。それに黒ずくめの組織が関与していることに気付いたコナンは灰原に注意するよう伝えるのだが、その夜灰原は組織によって連れ去られてしまうのである。

※本稿は一部結末に触れています

 言うまでもなく今回描かれる物語は、『名探偵コナン』という作品において中核をなす“黒ずくめの組織”との対決。これまでも劇場版では『名探偵コナン 天国へのカウントダウン』や『名探偵コナン 漆黒の追跡者』、『名探偵コナン 純黒の悪夢』で描かれてきたが、今回はいつもとどこか様子が違って見える。宿敵であるジンがなかなか最前線に現れず、組織の新たなメンバーのピンガという謎めいた存在の登場に、どことなく流れる不協和音。むしろ組織の存在以上に、灰原を窮地に陥れるきっかけとなる新技術――過去の写真などから現在の姿を再現し、世界中の監視カメラを用いて所在を特定する――のほうが幾分か脅威に見える。

 とはいえ組織の存在は、離島からさらに離れた海上にぽつんと浮かぶ、周辺から完全に隔絶された構造物というミステリには格好の舞台となりうる装置の不可侵性をいとも容易く無効化させるだけあって、実に映画的である。劇中の序盤に姿をあらわしたザトウクジラを彷彿とさせる潜水艦が物語のもうひとつの舞台と化して以降、そのなかで繰り広げられるドラマはこれまで数多作られてきた潜水艦映画の暗黙のルールに従うかのように閉塞的で、妙な緊張感がただよいつづける。むしろそれが、先述の不協和音を増幅させているのであろう。

 またその閉塞的な空間から抜け出すために灰原は、それ以上に閉塞的な魚雷発射装置に入り込む。寸前のところで命を落としかねない状況となりながらも、何とか潜水艦からの脱出に成功するのだが、そこにあるのは黒く延々と広がる海原だけ。もはや今回の物語の舞台設定は、ミステリのためではなく灰原哀というキャラクターのためであったのだとよくわかる。組織から抜け出し逃げ場も行き場も失った灰原の、どこまでも続く暗中模索。そして一度は安息の、つまり文字通り息ができる空間に出てきた彼女は、再び自ら海へと飛び込みコナンの元へと向かう。その行動と、限られた酸素を共有し合う様は、APTX4869で小児化した両者が運命共同体であることを如実に示している。

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