『エルピス』村井の怒りに見えた一筋の希望 最終回の鍵を握るのは鈴木亮平演じる斎藤

『エルピス』最終回の鍵は斎藤

 ついに村井(岡部たかし)が吠えた。そして、それを見た浅川(長澤まさみ)はとても美しい涙を一筋こぼした。

 いよいよ12月26日に最終回を迎える『エルピスー希望、あるいは災いー』(カンテレ・フジテレビ系)。最後に浅川は何と戦うのだろうか。

『ニュース8』のセットは、隠蔽の砦であり栄華の塔だった

 テレビが最も華やかだった時代の狂騒曲というべき「ガラガラヘビがやってくる」が十八番の村井。欲望に忠実で、軽薄さこそが信条だったバブル世代の男が、『ニュース8』のスタジオで狂ったように暴れ出した。パイプ椅子を投げつけ、セットを破壊する。それはまるで、彼が愛した尾崎豊の「卒業」の歌詞みたいだ。早く自由になるために、校舎の窓ガラスを割る。あの暴走は、村井にとっての「この支配からの卒業」だったのかもしれない。

 大門副総理(山路和弘)の娘婿で秘書だった亨(迫田孝也)が死亡した。それは、大門に対する告発を決意した矢先の出来事だった。亨への追悼の言葉をマスコミの前で並べる大門。記者は「これが案外泣けるんすよ」としたり顔だ。あの瞬間、きっと村井の中で何かが弾けた。

 『ニュース8』のあのセットは欺瞞の象徴だ。真実ではないことをさも真実のように伝え、自分たちの都合のいい方向へ世論を誘導する不正と隠蔽の砦だ。と同時に、村井たちバブル世代がテレビマン人生をかけて築き上げてきた栄華の塔でもある。そこには、ひとつの歴史を担った矜持もあるだろう。ジャーナリストとしての誇りや、若き日に抱いた夢や憧れもあるだろう。

 そして、それと同じくらい怒りもある。外部からの圧力や社内政治によって葬り去られた無数のスクープ。権力者の思惑が垣間見えるような不可解なニュース。やがてそれらに対して何も思わなくなるほど麻痺してしまった自分の正義感。そのすべてを村井は壊したかった。

 浅川が村井を見て泣いたのは、浅川もまたずっとそうしたかったからだ。看板番組のキャスターという重責は、浅川の手足を縛る枷になった。正しいことがしたいはずだったのに、いつの間にかどんどん自分が思う正しいことから遠ざかっていった。人は、自分がしたくてもできないことをしている人を見ると、快哉を上げる。視聴者が、テレビドラマを観る理由の一つもそれだろう。自分の人生ではなかなか起きないドラマティックな経験をしている主人公を見て、疑似体験したつもりになって泣いたり笑ったりする。

 私たちももう本当はずっと前から壊したかったのだ。この社会にはびこる窮屈な閉塞感を。知らないうちに真実がすり替えられているような現実を。自分たちの尊厳を踏みにじる理不尽の数々を。壊したくて、でもできなくて。だからドラマを観て溜飲を下げる。自分も何か正しいことに加担しているような高揚感に酔い浸る。実際にはヒーローになれない人のために、ドラマというのは存在しているのかもしれない。

 浅川と村井、そして岸本(眞栄田郷敦)は同一線上にいるキャラクターだ。人間のフェーズをそれぞれのキャラクターに割り振っているといいかもしれない。正義に目覚め、なりふり構わず行動を起こす岸本が覚醒期なら、信念と責任の間でがんじがらめになる浅川は停滞期。そうした葛藤をすべて通過し、あきらめたような自嘲ばかりが板についた村井は失望期。誰が正しいでも間違っているでもなく、人は年齢や経験と共に同じような道筋を踏んでいく。

 だから、浅川は村井が怒ったことがうれしかった。自分より上の世代の人間が、自分たちのつくってきた社会に対し、こんなのは間違っているとはっきり声を上げる。かつて年下のスタッフが、村井のセクハラをちゃんと怒ってほしいと浅川に託したように。知恵と力のある上の世代からまずは変わってほしい。それを人は希望と呼ぶのだろう。

 脚本の渡辺あやは現在52歳。いわゆるバブル世代ど真ん中ではないが、世代的には村井に近い。渡辺自身、かつては政治に対して無関心だったとインタビューで明かしている。その無自覚さが、今のこの社会をつくったのだという自省や危機感も『エルピス』には含まれているように見える。そんな年長者としての責任を村井に込めた。

 村井の暴走は、くすぶっていた浅川の正義感に再び火をつけることになるだろう。人の命さえも紙屑のように扱う巨大な権力に、浅川はどう対抗していくのか。最終回は、浅川の戦いが最大の見どころになるはず。

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