眞栄田郷敦の“覚醒”が『エルピス』を牽引 浅川と岸本の“縦走”の行き着く場所は?

眞栄田郷敦の“覚醒”が『エルピス』を牽引

 正しいことは、1人ではできないものなのかもしれない。人の心は簡単に折れる。人は易きに流されるし、どんな反骨心も呆気なく権力に屈する。

 それでも、自分が握っていたバトンを誰か別の人が受け取って走ってくれたら。その背中を見て、また人は走り出そうと思えるのかもしれない。

 『エルピス—希望、あるいは災い—』(カンテレ・フジテレビ系)の浅川(長澤まさみ)と岸本(眞栄田郷敦)は、そうやって互いに交替しながら歩を進め、一つの真実に辿り着こうとしている。

食とプラネタリウムが語る浅川の欺瞞

エルピスー希望、あるいは災いー

「私はね、もう迷わない。これからは正しいと思うことだけをやるの」

 そう高らかに宣言した浅川だったが、松本(片岡正二郎)の再審請求は棄却。局長のお墨付きだったはずの八頭尾山連続殺人事件の特集企画も局内のパワーバランスに敗れ頓挫することとなった。松本の人生を狂わせた罪悪感と、上からの圧力には逆らえない無力感から、浅川は戦線離脱。斎藤(鈴木亮平)のためにベッドを買い、どうでもいいニュースを張り付いたような笑顔で流す“お飾り女子アナ”に逆戻りした。

 そんな浅川とは対照的に“覚醒”したのが岸本だ。自分がいじめられたくない。その一心で、友を裏切り見殺しにした罪の意識を抱え続けてきた岸本は、もう権力に媚びへつらい、誰かを見捨てることだけはしたくなかった。

エルピスー希望、あるいは災いー

 浅川が斎藤と高級フレンチに舌鼓を打つ一方、あんなにバカスカと何でも平らげていた岸本がかつての浅川のように食事を口にできなくなる。浅川と岸本の対比を食で表現する渡辺あやの脚本術が唸るほどに冴えている。

 また、しし座流星群が流れる夜空の下、少女の遺体が届かぬ叫びのように横たわっているのに対し、浅川は斎藤の隣で人工のしし座流星群を見上げながら眠っている。この対比も効いていて、あらゆるものに蓋をして平穏に暮らそうとすることこそが欺瞞であり、不正への加担なのだと視聴者に言っているようだった。いじめに気づかないふりをして、級友を死に追いやった中学生のように。

岸本がつないだ正義のバトンリレー

 岸本の執念は誰も掴むことのできなかった肉声へと辿り着く。松本らしき人物を現場で目撃したという西澤(世志男)の証言は嘘だったと、別れた妻・由美子(小林麻子)が告発したのだ。結果的に岸本の撮ったVTRが流れることはなかったが、あれは決して握り潰されたわけではないだろう。その価値を正しくジャッジした村井(岡部たかし)がふさわしい形で電波に乗せるために敢えて保留にしたんだと思う。「お前が悩むとか100年はええよ!」と罵られていた岸本が、くすぶっていた村井のジャーナリズムに火をつけた。

 さらに、岸本の狂気に近い情熱は、萎れていたはずの浅川の使命感まで再び立ち上がらせた。覚悟なんて何一つなかった岸本が、また飲み込んではいけないものを飲み込もうとしていた浅川の正気を揺り起こしたのだ。

 結局、人などというものは、その内側にいろんな自分を宿らせている。正義に燃える自分。保身と打算まみれの自分。どんな雑音も跳ね返す強靭な意志を持った自分。弱くて狡くて情けない自分。そのどれもが本当の自分で、時と場合によっていろんな自分が顔を出す。

 浅川も岸本もまったく完璧な人間ではなくて、理想と現実の間を行ったり来たりしながら、少しずつありたい自分に近づいているところが人間臭い。2人の関係はいわゆるバディだが、決して肩を並べて並走しているわけじゃない。言うならば、縦走だ。先頭を走っていた者が立ち止まり進めなくなったら、今度は後ろにいた人間がバトンを受け取り、前に出る。

 世の中を変えるのは、たった1人の革命家ではない。同じ志を持った仲間が、時に挫けそうになったり、あきらめそうになったりしながら、お互いの存在に触発され、なけなしの正義感を奮い立たせているのだろう。暗闇の中スタートした浅川と岸本の旅は、今ようやく夜明けを迎えようとしている。

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