『エルピス』がドキュメンタリーではない理由 長澤まさみと鈴木亮平の相克する関係

『エルピス』がドキュメンタリーではない理由

 『エルピス-希望、あるいは災い-』(カンテレ・フジテレビ系)第6話では、冤罪事件が一つの節目を迎え、ドラマの位相の変化がはっきりと現れた。

エルピスー希望、あるいは災いー

 2018年12月。拓朗(眞栄田郷敦)が取材した目撃者の元妻の証言は、容疑者の松本(片岡正二郎)を見たという目撃証言を覆すものだった。有力な反証が見つかったことで、再審が認められる可能性は高まる。スクープになると踏んだ村井(岡部たかし)は報道に情報を渡さず、『フライデーボンボン』内で特集として放送することを決める。

エルピスー希望、あるいは災いー

 衝撃の新事実に対する視聴者の反応はすさまじく、全メディアがニュースで取り上げる。やや遅れて大洋テレビも追随し、恵那(長澤まさみ)が夕方のニュース番組『ニュース8』に呼ばれ、事件について解説することになった。一方、目撃者の西澤(世志男)は行方をくらましてしまう。重要参考人の失踪は、再捜査の可能性が潰えたことを意味していた。

エルピスー希望、あるいは災いー

 冤罪事件を扱う『エルピス』は、なぜドキュメンタリーではなくドラマの形式を採っているのか。その理由が第6話で示されていた。まず最初に、テレビ局内の勢力争いが挙げられる。報道部門を差し置いてバラエティがスクープを流すことは身内を出し抜くことで、後々になって嫌がらせをされるおそれがある。また、『エルピス』では副総理の大門(山路和弘)が斎藤(鈴木亮平)を介して局に圧力をかけており、局側も忖度して調査報道を控えていた。こうした状況で、本作のように「実在の複数の事件から着想を得たフィクション」としてドラマを構成することは有効な手法である。

エルピスー希望、あるいは災いー

 ただし、以上は表層的な理由にすぎない。冤罪を主題にした作品はこれまでもあるが、『エルピス』がそれらと異なるのは、冤罪を生む病巣をターゲットにしていることだ。その狙いは第6話後半にかけて徐々にヴェールを脱ぐのだが、私たちが生きる同じ時間軸で現実の社会を意識させながら、冤罪を生み出す構造やそこに棲息するプレイヤーをつまびらかにしていく。このような権力の内実に迫る過程はドラマや小説などのフィクションでしか描くことができない。その反面、物語の力を借りることで広範囲にメッセージを伝えることが可能である。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「国内ドラマシーン分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる