『SPY×FAMILY』が引き継ぐ往年のスパイ映画のエッセンス 逸脱した個性の獲得
遠藤達哉の漫画をテレビアニメ化した『SPY×FAMILY(スパイファミリー)』が国内外で人気を博している。タイトルが示す通り、スパイとファミリードラマを掛け合わせた、洗練されたコメディ作品で、漫画らしい飛躍もありつつ、スラップスティックに頼りすぎず個性あるキャラクターたちの勘違いを含めた突飛な言動で笑わせるあたり、往年のスクリューボール・コメディ映画のような雰囲気を持ち合わせている。
スパイの父が任務のために孤児院から娘を引き取る。さらに任務のために母親役が必要となり3人家族を形成する。ところが、秘密を抱えているのはスパイの父だけではなく、母は殺し屋稼業をカモフラージュするため、そして娘は心が読める秘密の能力を持っている。それぞれの抱えている「秘密の利害」のために疑似家族を形成した3人の思惑のすれ違いがコミカルに描かれ、時折のぞかせる家族の絆の深まりでハートウォーミングな共感を与える。スリルも笑いもバランスよくブレンドされた、極めてウェルメイドに完成度の高い作品だ。
本作はいわゆる「スパイもの」だ。スパイ映画は映画史の中で数多く製作されてきたが、それら作品群のどのようなエッセンスを本作は引き継ぎ、または逸脱して個性を獲得しているのか、考えてみたい。
冷戦時代に花ひらいたスパイ映画
スパイ映画はサイレント映画時代から存在するが(フリッツ・ラングの『スピオーネ』など)、ジャンルとして隆盛したのは冷戦時代、とりわけ60年代以降だ。
冷戦という時代は、アメリカとソ連をそれぞれ中心にした東西陣営が、核兵器の抑止力を背景に大規模な実戦をせず、情報戦による駆け引きで戦う時代だった。その駆け引きの裏で暗躍したのがスパイや諜報機関だったことがフィクションの想像力を刺激し、多数のスパイものが量産されることになった。
最も有名なスパイキャラクターといえば、『007』シリーズのジェームズ・ボンドだろう。このシリーズも『ロシアより愛をこめて』のように初期の頃は東西対立を背景にした作品が多かった。『007』シリーズは、やや現実離れした荒唐無稽な内容だが、東西対立の緊張感をベースにしたリアル調の作品も数多く製作された。冷戦終結後は、東西対立以外に国際テロなどが題材に選ばれることも増えたが、冷戦や第二次世界大戦時代を題材にしたスパイものは以前として数多い。2011年の『裏切りのサーカス』や2015年に『ブリッジ・オブ・スパイ』、2016年『マリアンヌ』、2020年の『クーリエ:最高機密の運び屋』など、話題作や高評価を受けたスパイものには大戦中か冷戦を背景にした作品が多い。
『SPY×FAMILY』は架空の時代・国家を舞台にしているが、そのモデルは冷戦時代、東西対立の最前線の一つだったドイツだ。架空とはいえ、スパイものの典型的な時代と場所を舞台に選んでいると言える。
スパイとは自分らしく生きることを許されない人々
スパイを題材にした作品には、物語上どんな特徴を見出せるだろうか。
一言でいえば「偽装」だ。スパイは正体と本当の思惑を隠し、相手を欺き情報を得ることを生業とする。その正体がバレるかバレないかという点に物語を推進するスリルが生じ、フィクションとしての面白さを生み出していく。
アルフレッド・ヒッチコックの『引き裂かれたカーテン』では、ポール・ニューマン演じるアメリカの物理学者が東側に亡命するが、本当の目的は東側の物理学者から核に関する情報を聞き出すことにあった。本心を隠しながらいかに情報を引き出すかの駆け引きと、愛する女性にすら本来の目的を隠していたことが、物語を予想できない方向に引っぱる力となっている。
正体を隠すという点がスパイものの醍醐味だが、これは敵対勢力だけでなく身近な人間をも欺く必要が出てくる。時にそれは自らの人生を犠牲にすることでもある。今風に言えばスパイとは「自分らしく生きることを許されない人」とも言える。
この「自分の人生を捨てる」スパイの性質を巧みに利用した作品に、市川雷蔵主演、増村保造監督の『陸軍中野学校』がある。実在したスパイ養成所に集められた若者たちが、名と名誉を捨て、恋人にも死んだことにしてスパイとなってゆく物語だ。主人公は婚約者がいるが、家族にも音信不通の身となる。婚約者は主人公を探すために陸軍諜報部でタイピストとなるが重要機密をイギリスに漏らしてしまい、主人公は彼女を始末するしかなくなってしまう。
秘密の任務のために家族や恋人を犠牲にせざるを得なくなるというのは、スパイものでは頻出する展開だ。ブラッド・ピットとマリオン・コティヤール主演の『マリアンヌ』では任務で出会った2人が幸せな家庭を築くが、実は女は敵国のスパイであり、夫は彼女をとるか、任務をとるかの選択を迫られる。
正体を偽るがゆえに、スパイは家族という私的なものと任務という公的なものを天秤にかけなければならない。こうした展開で、偽装が明るみに出るかどうかのスリルだけでなく、人間ドラマとしての深みをもたらせるのもスパイという特殊な職業設定の面白さだ。