もしも1日だけ違う自分になれたら? 『ローマの休日』が描く、王女とジョーの“特別な日”

『ローマの休日』が描く一日の“特別さ”

 もしも、たった1日だけでいいから違う自分になることができたら……。もしも、たった1日だけでもいいから違う人生を生きることができるなら……。誰だって一度はこう願ったことがあるのではないだろうか。人によって置かれている環境はそれぞれ異なるが、たとえ現状に満足していたとしても、いや、満足しているからこそか、違う自分/人生に憧れてしまうものだ。ハリウッドの黄金期に登場し、戦後も数々の名作を手がけたウィリアム・ワイラー監督による『ローマの休日』(1953年)は、1人の女性のまさにそんな“ある1日”を描いた作品である。

 ヨーロッパ各国を表敬訪問して回り、最後の滞在地であるイタリア・ローマを訪れたアン王女(オードリー・ヘプバーン)。超過密スケジュールの中で格式高い振舞いを求められ、大勢の人間を相手にしなければならない彼女は、もうパンク寸前だ。あまりの窮屈な生活に疲労困憊で心身ともに限界を迎えた王女はその夜、こっそりと宮殿を抜け出してしまう。

 見知らぬ土地、ローマの夜、つかの間の自由――愉しいひとときになるかと思いきや、不意に猛烈な眠気が。そこを偶然通りかかったアメリカ人新聞記者のジョー・ブラッドレー(グレゴリー・ペック)が心配して声をかけたところ、彼女はまるで酔っ払いのようにウザ絡みをした挙げ句、彼のボロアパートにまでついていき眠り込んでしまう。大した王女様である。翌日、ジョーは彼女が某国の王女であることを知るものの、彼女が自分の名を「アーニャ」だと口にしたことから、この2人の「ローマの休日」が始まるーー。

 アン王女が“違う自分”や“違う人生”を生きたいと考えていたのかは語られない。厳しい環境で育てられたのだろう。やがてジョーに気を許すようになるまでの彼女は、基本的に人前で弱みを見せないし、本音も明かさない。真実は彼女の中だけにあるのだ。

 しかしもし、王女が自分のことを「アーニャ」ではなく、「いまローマで話題のアン王女」だと正直に答えていたらどうなっていただろうか。名前を聞かれて答えに窮した子ども姿の工藤新一が、もしも「江戸川コナン」ではなく、「バーロー、俺だよ。おめぇの幼なじみの新一だよ」なんて口にしていたら、恋愛に発展しそうでしない毛利蘭との関係はどうなっていたのだろうか。そんなロマンのないことなど考えたくもない。つまり、自らの正体を隠すことからロマン(=冒険)は始まるのだ。初めて訪れた土地で名前を尋ねられた際には、偽名を使ってみるといいかもしれない。もっとも簡単に“違う自分”になれて、少しだけ“違う人生”を愉しむことができるだろう。

 さて、慣れない街で、晴れて一般人女性・アーニャとなったアン王女。一刻も早く宮殿に戻らなければならないが、せっかく手に入れた自由と、いまの自分を手放すのは惜しい。そこで「思いきって1日楽しんだら?」というジョーの言葉に背を押され、ローマでの1日を謳歌することに決めるのだ。とはいえジョーはしがない新聞記者。彼は自らの職業を偽って王女と行動をともにし、一大スクープをものにしてやろうという魂胆がある。たまたま自分の元に転がり込んできた立身出世の大チャンスだ。彼の人生においては言わば“確変”。みすみす見逃す手はないだろう。しかしながら彼は、見ず知らずの女性が道ばたで眠りこけているのを気にかけられる人間だ。果たして本当に、我欲のために王女を利用することができるのだろうか。

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