なにわ男子 西畑大吾こそが真の救世主!? 『KAPPEI カッペイ』にみるツッコミ力
真の“救世主”は西畑大吾だった説を唱えたい。
人類の救世主となるため、人生のすべてを費やしてきた終末の戦士たち。だが、世界が滅亡する気配など一向に感じられないまま、師範から突如「解散!」を命じられてしまう。そんな彼らが東京の地へと流れ着き、右往左往しながらも人生で初めて“恋”を知る姿などを描く映画『KAPPEI カッペイ』。正直、ただただ腹筋が鍛えられただけで見終わったあとに「私は一体何を観ていたんだ……?」と記憶がすっぽり抜け落ちているくらい、物語自体にあまり意味はない。
というよりも、画力が強すぎて、脳がバグるのだ。目からの刺激を過剰摂取しすぎて、私の中の人としての本能的な何かが、これ以上の情報の受け取りを拒否してしまう。よって、本作を観たことで残っているものといえば、大の大人たちの濃すぎる姿、その一瞬一瞬をまるでシャッターで切り取ったような静止画だけ。
そんなカオス映画で、唯一救世主と言えるのが、気弱だが心優しい大学生・入間啓太役の西畑大吾だった。主人公で殺人拳・無戒殺風拳の使い手・勝平役の伊藤英明をはじめダンディーな大人たちが全身全霊をかけて真剣にふざける映画(もはや何か大切なものを失っているのではないかと心配になるほど、ある意味で命懸けの気迫を感じた)で、一人だけ“普通”の男の子で終始ツッコミ役に徹していた西畑。猛者たち(ベテラン俳優陣)に屈することなく、振り回される役を堂々とこなしていた。
平野隆監督も西畑について「救ってくれましたね。みんなの潤滑油みたいな。(役柄だけでなく)彼が一番大人かもしれません」(※1)と語っていたが、入間啓太という存在を彼が演じたからこそ、この無法地帯ギャグ映画に優しい安心感を与え、心をほぐして観客の笑いスイッチに火をつけたように感じる。つまり現場だけでなく、スクリーンと私たち観客の“潤滑油”にもなっていた。
作品中唯一の観客視点とも言える入間啓太役は、終末の戦士たちだけでなく、この作品自体を縁の下から支えている。人懐っこい愛らしさと滲み出る柔らかい温かさ。抜群の安定感と俯瞰力。コミカルな動きとコロコロと変わって目が離せない表情、そして絶妙な間の使い方と繰り出される鋭いツッコミ……西畑の演技はすべてが心地良い。確かな存在感があるはずなのにナチュラルにその世界に溶け込み、物語に説得力を持たせる。