『シチリアを征服したクマ王国の物語』は世界を見通す一流の寓話だ 人の歴史の真実を紡ぐ

『クマ王国の物語』は世界を見通す一流の寓話

 1月14日から公開されるアニメーション映画『シチリアを征服したクマ王国の物語』には、世界の歴史を見通す力がある。

 「驕れる者も久しからず」。どんなに権勢を誇ってもいつか必ず権力には終わりがやってくる。どんな名君でも長く権力の座についていると腐敗してしまう。その現象は、個人の倫理では押しとどめることのできない、必然の帰結として古今東西、世界中で起きている。

 本作は、その必然を寓話の形で、子どもにも大人にもわかるように優しく伝える。人間の残忍さと自然の過酷さ、権力の腐敗構造と富による堕落を、絵本から飛び出たような鮮やかな色彩のアニメーションで描き尽くしている。世界の複雑さをわかりやすく提示する一流の寓話だ。

 原作は、1945年に発表されたイタリアの作家ディーノ・ブッツァーティの同名童話。子ども向けの作品として非常に高い完成度の原作をアレンジして、皮肉と風刺だけで終わらせず、次世代への希望も届ける作品に仕上がっている。

二段構えの王国興亡史

 男と少女の旅芸人が、吹雪をしのぐために洞窟で一休みしていると、大きな老クマに遭遇する。食べられたくない一心で2人は、愉快な物語を語って聞かせることにする。その名は「シチリアを征服したクマ王国の物語」。遠い昔、山奥に平和なクマの王国があり、クマの王レオンスを中心に、つつましく幸せに暮らしていた。しかし、ある日、レオンスの息子トニオが人間に捕えられてしまう。悲しみに暮れ、動こうとしないレオンスを奮い立たせるために、長老クマがシチリアの人間の王国に行けばトニオに会えるかもしれないと助言。レオンスはクマの大群を引き連れシチリアの王国を目指す。

 シチリアを収める人間の大公は暴君だった。大公は友好ムードのクマたちに奇襲で発砲、犠牲者を出したクマたちは、大公の怒りを買った魔術師と邂逅し、大公の策略を交わしながら、再びシチリアに侵攻。大公の圧政を打倒し、人間たちを解放する。サーカスで見世物にされていたトニオは大公に銃殺されるが、魔術師の魔術で蘇生され、物語はハッピーエンドを迎える。

 旅芸人の語りはここで終わる。しかし、今度は老クマの方が、その物語には続きがあるのだと語り始める。

 クマたちはシチリアの支配者となった。レオンスは新たな大公となり、クマと人間が共存する国となり、トニオは人間の少女アルメニーナと友情を深め、幸せな日々を過ごしている。そんなある日、魔術師の杖が盗まれる事件が発生。クマは欲をかかないと信じて疑わないレオンスは、盗んだのは人間だと決めつける。しかし、クマたちはいつの間にか欲望まみれとなっており、王宮には権謀術数が渦巻いていた。

 このように、本作の物語は二段構えの構成となっている。圧政の打倒と息子の救出という親子愛を語る前半と、権力の腐敗を描く後半。そこから浮かび上がるのは、歴史の残酷な真実だ。

 二段構えで語ることで、どんな高潔な人物であっても、富と権力は人を腐敗させることへの説得力を増している。あらゆる国々で繰り返されてきた支配と腐敗の繰り返しがここには反映されている。クマに追われた人間の大公すらも、かつては有望な人物だったのかもしれない。

 クマのことをよく知らないだろう人間の旅芸人が、クマを純粋な生き物として語り、実情を知る老クマが腐敗を語るのは、本作の脚色だ。どうして、人間には後半の腐敗の物語が言い伝えられていないのだろうか。人間は、実像を良く知らないものを理想化してしまうことがあるから、物語の美しい部分だけが独り歩きして理想化されてしまったのだろう。この脚色によって、歴史の重要な部分が忘却されてゆくこともまた、多々あることだとこの映画は伝えている。

 哀しくビターな物語だが、映画は次世代に希望を託すアレンジも施す。原作と比較すると、若い世代のトニオの役割が増大し、新たにアルメリーナというキャラクターを創造しているが、この2人の絆に、人とクマが手を取りあって生きていける希望が託されている。

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