『劇場版 呪術廻戦 0』には言葉の力が込められている “言霊の国”で年末に大ヒットした因果

『呪術廻戦 0』に込められた言葉の力

 日本は言霊信仰の国である。万葉集の中に、日本は「言霊の幸わう国」と表現する歌がある。日本は言葉によって幸せが運ばれてくる国だということだ。

 年末年始は特にそれを感じさせる。「明けましておめでとう」と言うが、年が明けただけでなにがおめでたいというのか。別におめでたくはないが、新しい一年が良いものになりますように、と願いを込めて敢えて「おめでとう」というのだ。言霊の力で新しい一年を良いものにしようということなのだ。

 そういうシーズンに『劇場版 呪術廻戦 0』(以下、『呪術廻戦 0』)が大ヒットしているのは、何の因果だろうと考えてしまう。前向きな言葉が幸せを運んでくるのならば、後ろ向きの言葉は呪詛となり、不幸を運んでくる。『呪術廻戦』は、呪いを用いた戦いを描く作品だが、本作はそうした言霊の力に敏感だ。言葉がいかに人を縛り付け、災いをもたらすのかを少年漫画の文法でダイナミックに表現した作品と言っていい。

 とりわけ、この劇場版は、本編以上に言葉の力をわかりやすく伝える物語だと言える。

呪いと言葉

 呪いとは何だろうか。作中では、人間の負の感情から生まれるものとシンプルに定義されている。

 負の感情というと結構広い。殺したいとかむかつくとか、そこまで強い感情じゃなくても、妬ましいや羨ましいだって劣等感を生むわけだから、負の感情である。負の感情を持たない人間はいない。

 呪いは物理的なものではない。一般の人間には見ることはできず、精神的、霊的な力で人を苦しめる。人が物理的な方法ではなく、感情を表出させる方法は、言葉だ。呪いとは言葉の負の力によって生まれる。

 民俗学者の小松和彦の『呪いと日本人』(KADOKAWA)は、日本の呪詛の歴史を紐解いている。太古の神々の時代、呪いの発動条件は大変にシンプルで、「たんに呪文や呪いをこめた言葉を発するだけ」だったそうだ。

 神々でなくても、誰かを苦しめたければ負の言葉をぶつけるだけで事足りる。SNSで「死ね」と書き込むだけでも相手に精神的ダメージを与えられる。「お前なんでうまれてこなければよかった」などと小さい頃に言われたら、それは一生ものの呪いとしてその人に付きまとうだろう。

 『呪術廻戦 0』の主人公、乙骨憂太も言葉によって呪われた存在だ。「里香と憂太は大人になったら結婚するの」という言葉を残して交通事故死した少女、祈本里香は、その強い愛情ゆえに強力な怨霊となり、乙骨にとり憑いている。その里香の力を借りつつ戦うこの主人公は、呪いを解くために呪術を学ぶことを決意する。

 「結婚するの」と言われた乙骨は、「じゃあぼくらは、ずーっと、ずーっといっしょだね」と返答している。その言葉通りに里香は神でも乙骨の傍を離れない怨霊となったのだ。この言葉のやり取りで、呪いをかけていたのはどちらなのかと乙骨は逡巡する。

 子ども時代の結婚話など、よくある何気ないひとコマにすぎないが、そんな言葉にすら人を呪う力は宿っている。安易に放った言葉が人を縛り付けるかもしれない可能性について、本作は実に深く切り込んでいく。

 物語の中盤、原作『呪術廻戦 0 東京都立呪術高等専門学校』(集英社)の第2話にあたるエピソードでは、呪言師の狗巻棘の活躍が描かれるのは必然的な流れに筆者は思える。棘は、文字通りに言葉に呪いを込めて戦う。特別な言葉でもなんでもなく、「潰れろ」や「爆ぜろ」など、一般動詞で他者を呪えてしまう力を持つ棘は、不用意に誰かを呪わないために、普段はおにぎりの具だけで会話するという特異な設定になっている。個性派揃いのキャラクターの中で、とりわけ棘の活躍がフィーチャーされるのは、やはり言葉の持つ力を描くためではないだろうか。

 本作で最も強い力を持った言葉はなんだろうか。筆者はやはり「純愛だよ」の一言だと思うのだ。「愛しているよ」の言葉で里香の呪力を制限解除し、放った一撃は夏油傑を吹き飛ばす。きちんと言葉にしているという点がなにより大事なのだ。

 そして、死にゆく親友を見送る五条が、呪いの言葉を吐かないというのも大切なポイントだ。これから死にゆく人の成仏を願って縛り付けるような言葉を言わないというのも、言葉の力を大事にしているからこその配慮だろう。

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