『劇場版 呪術廻戦 0』が見出した映像化の正解 呪い(愛)を軸に描く青年の成長譚に

『劇場版 呪術廻戦 0』が見出した“正解”

 12月24日から公開された、『劇場版 呪術廻戦 0』(以下、『呪術廻戦 0』)。この公開日は、劇中登場する重要な出来事「百鬼夜行」が行われた日でもあり、実に意味深い日付だ。現在『週刊少年ジャンプ』(集英社刊)にて連載され、アニメも1期が放送されていた『呪術廻戦』の前日譚にあたる本作。作者の芥見下々が2017年の『ジャンプGIGA』vol.1からvol.4に連載していた『呪術廻戦 0巻 東京都立呪術高等専門学校』を原作としている。そして、漫画の映像化作品としての一つの“正解”といっても過言ではない、見事な出来栄えだった。

※本稿は核心的なネタバレを避けつつ、『劇場版 呪術廻戦 0』の内容に触れています。

“完成された”、乙骨憂太というキャラクターの成長譚

劇場版 呪術廻戦 0

 原作をすでに読んでいれば、本作がかなり『0巻』に沿って忠実に映像化されていることがわかる。展開はもちろん、セリフやカットの再現度も高い。むしろ、冒頭で乙骨がいじめられる場面の「駄目だってば」などのセリフを漫画の一コマのようにカットインする演出からも、原作を強く意識しリスペクトしていることが窺える。なので、乙骨の物語を描き切った『0巻』を全て映像化するのであれば、プロット自体はある程度すでに完成されていると言える。しかし、そうではない。まずは劇場版の「構成力」が、さらに彼の物語を“完成”させたのだ。

 例えば、アニメ『呪術廻戦』も原作に沿った構成ではあるが、第1話の冒頭は順序が逆になっていた。原作では伏黒恵が百葉箱にすでに辿り着いたところから始まり、その後、虎杖悠仁の学校生活が展開される。しかし、アニメは『0巻』の乙骨のように拘束された虎杖が、突然死刑宣告を受けたことで強い印象と興味を引き立てた。一方、『呪術廻戦 0』は、逆に乙骨の学校生活から始まる。あの“インパクトある日常”を先に描くことで、彼が「自ら死を望む」その動機を真っ先に理解することができるようになっているのだ。この変更から、『呪術廻戦 0』には「乙骨の感じるものを、視聴者に理解させる」という気概を感じる。

劇場版 呪術廻戦 0

 そして、タイトルコールまで描かれるのは、朝起きてから学校に行くまでの様子。ここでも、目覚まし時計が7:05を指していることから、それが5分間鳴り続けていることを想像させる。その間ずっとベッドから出たがらない彼の様子から、新しい学校生活に対して後ろ向きだという気持ちが表現されているのだ。こういった原作には描かれていない、オリジナルの描写のなかに見る細かい演出のひとつひとつから、乙骨という主人公を余すことなく理解できるようになっている。

 さらに、本作はクリスマスイヴに行われる「百鬼夜行」に至るまでの四季が描かれた。これも原作には見られなかった演出だが、脚本家の瀬古浩司は「乙骨が五条や禪院真希たちと過ごした時間を、お客さんにも共有してもらいたかった」とパンフレット内のインタビューで触れている。乙骨が鍛錬に勤しむ描写を挟みながら、段階的に肉体的にも動けるようになっていく描き方をすることで、1年生が共に過ごした時間の経過を意識させる構成。これにより、仲間を傷つけられたときの乙骨の心情がやはり理解しやすくなっているのだ。なにより、映画は彼が“否定、拒絶”されるところから始まる。だからより一層、 “唯一自分を受け入れてくれた仲間”を攻撃されることへの意味が深まっているのだ。

 受け入れられ、死を望んでいた乙骨は変わっていく。一緒に任務に行った狗巻棘に助けられて、誰かと協力して相手を倒すこと、“仲間の存在”を自覚したことが、人間としての成長に繋がった。この物語の美しさは、そんな主人公に周囲のキャラクターもそれぞれ影響を受け、彼らもまた乙骨のおかげで成長する点にある。そして最後、乙骨は大切な誰かを傷つけないようにするのではなく、守るために自己をも肯定する境地にまで到達する。そんな彼だからこそ、罪悪感などの負の感情として認識し、目を伏せてきた呪い(愛)に自ら向き合うことができたのではないだろうか。そんなふうに、本作は最初から最後まで乙骨という一人の青年の、純度の高い成長譚として描かれた。

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