濱口竜介監督作品の鍵は“テキスト的な人間”? 短編集『偶然と想像』を制作した意図を聞く
「いちばん大事なことは、言葉になってないという感覚」
――今回の3つの話は、いずれも「言葉」がテーマになっているような気がしました。もっと言うならば、「言葉の不確かさ」が、ひとつ共通したテーマになっているように思いました。
濱口:それはおっしゃる通りだと思います。言葉の面白さって、やっぱりその不確かさにあると思うので。その人が発する言葉が本当なのかどうなのか、それは決して誰にも判定できないわけです。極端な話、それを発した当人にも、完全には判定できないというのが、言葉のいちばん面白いところだし、特に戯曲のようなテキストの本質的な面白さっていうのは、そこにあると思うんですよね。どのような台詞であっても、それをどう言うべきかというのは規定されていないじゃないですか。その言葉を、どの程度本当に聞こえるように発するのかというのは、ある意味、役者に任されている部分であって……もっと言うならば、それは役者の能力とか意志に任されているのではなく、そのときにその役者がどう存在するかっていうことに任されているんだと思うんです。そこが面白いところだし、それが恐らく、役者という仕事のやりがいなのではないかと思うんですよね。
――もう一点、本作が非常に面白いなと思ったのは、登場人物たちが、安易な喜怒哀楽、あるいは直接的な行動に出ることなく、ギリギリのところまで「言葉」を使って相手と対峙しようとするところです。ときには、そこにある種の官能性が生まれたりもするという。
濱口:基本的に、言葉というのは距離を前提にして発するものなので、言葉を使うということは、ある程度距離があるということだと思うんです。もちろん、抱き合って言葉を発するようなこともありますけど、僕が脚本を書いているときに考えているのは、いつもその距離なんですよね。この言葉を発するとき、そこにどれぐらいの距離が空いているのか。そこはすごく考えているというか、その言葉を発する空間とかショットのことは、なるべく考えないようにしているんですけど、どの距離でこの言葉を発しているのかは、すごく考えていて。その距離がないと、今おっしゃられた官能性みたいなものも、結局のところは、生まれてこないんじゃないかと思うんです。
――さらにもうひとつ、今回の3話に共通するテーマとして、「傷つくこと」というのがあったように思います。そこはある程度、意図的だったのでしょうか?
濱口:意図的なのかな……どうだろう(笑)。さっきの「言葉の不確かさ」の話じゃないですけど、脚本を書きながら、基本的にはやっぱり、その「不確かさ」というものに留まるわけです。この人はこう言っているけど、本当のところ、そう思っているかどうかはわからない。そう思いながらいつも書いているんですけど、そうすると当然のように、「じゃあ、そう言わせているものっていうのは、何なんだろう」っていうことに、まあなっていくわけです。そのときに、その人が過去に受けた「心の傷」とかが問題になってくるのかな……。
――それこそ、それは監督の前作『ドライブ・マイ・カー』の大きなテーマのひとつでもあったわけで。
濱口:そうですね。だから、それを今回テーマとして設定しているかどうかはともかく……でも、そういうものじゃないですか(笑)。傷つき傷つけられっていうのは、特に近しい人間関係だったら、大いに起こるわけで。だから、それは書こうと思わなくても、自然と入ってくるところが、まずあるんだと思います。大げさに言うと、自分の「人間観」みたいなものがそうであるというか、人と人との関係性というのは、そもそもそういうものなのだという前提があって、台詞を書いていたりするのかもしれないです。ただ、いちばん大事なことは、言葉になっていないっていう感覚が、台詞を書いているときには、いつもあって……。
――どういうことでしょう?
濱口:いちばん大事なことは、言葉になってないという感覚……それは今回の3つの話に登場する、どのキャラクターも多分気づいているはずなんですよね。そうすると、自分がいちばん言いたいことは何なんだろうって、どの人物も考え始めるというか……そのことに突き動かされるように、みんな動いていくっていう。そういうところが、何かあるんだと思います。今回の3つの話は特に、何か大きな事件があるとかではなく、その人の感情とか関係性の変化そのものに重点が置かれているところがあると思うので、そういうものが主題化しやすいというか。事件とかよりも、その人が持っている傷とか過去とか、その人がそうせざるを得ない理由とか、その人自身も「何で自分は、こういうことをしているんだろう?」って考えていたりとか……そういうものが、浮かび上がってきやすい構造になっていたんじゃないかなって思います。
――誰かと会話していくことによって、その「傷」を探り当て、それを認めていくような……これもまた、ある意味『ドライブ・マイ・カー』のテーマと共通していますよね。
濱口:そうですね。それもさっき言った、自分の「人間観」みたいなものが、ある程度素直に出ているところなんじゃないですかね(笑)。そういう瞬間っていうものがあれば、何か生きていけるというか。それは言語化できるようなものではなく……言語化できないものを誰かと共有できた瞬間があったりすることによって、人は次のステップに行けるというか。まあ、ものすごく単純に言うと、スッキリするっていうことですよね(笑)。言葉にすることができなかったものを受け取ってもらえるような体験があったときに、人はスッキリするというか、それによって、先に進むことができるっていう。
――それにしても、このような映画が、ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞するというのは、ある種の驚きであると同時に、大きな喜びでもありました。
濱口:まあ、正直驚きましたよね(笑)。国際映画祭に出品される映画で、こういう「普通の」作品が少なくなっているというか、ちょっと珍しく見えたっていうところも多分あるんだと思いますけど。あと、ベルリンに関しては、審査委員全員が映画監督だったんですよね。なので、こういうものを撮るのは、意外と難しいよねっていうことが、わかってもらえたのかなと。
――個人的には、このコロナ禍の状況みたいなものも、少し関係していたのかなと思っています。親しい人にも会えない期間があったり、これまで以上に人と人の関係性だったり、そこで生まれる小さな感情というものに、世界中の人々が目を向けるような時期でもあったのかなと。
濱口:まあ、あったのかもしれませんね。ある意味ではすごく、その感度が上がっているというか、ほんのわずかな人との触れ合いにも、すごく心を動かされるようなモードがあったのかもしれない。
――さらに、先ごろ開催された第22回東京フィルメックスでは、見事観客賞を受賞されました。上映後のリアクションを受けて、何か感じるところはありましたか?
濱口:まあ、受け取られ方というのは、どこまでもわからないので、「ああ、こんなに笑いが起きるのか」とか、そういうのはいろいろありましたけど(笑)。ただ、こんなにも多くの人に観ていただけるような映画――それはまだわからないですけど(笑)、そういう映画になるかもしれないというのは、ちょっと驚くような感じではあります。それこそ、自宅の近くでリハーサルを繰り返しながら作ったものというか、すごく手作業で作っていった感覚があるので。その作品が、映画祭で受賞して、日本よりも先に海外のいろんな国で公開されたりすることは、なかなか驚きではありますよね。
――何か印象に残っている感想などはありますか?
濱口:そうですね……既に観ていただいた方の感想でうれしかったのは、「なんかこんなこと、ありそうだと思いました」という感想で。僕は脚本書きながら、「こんなこと絶対ないだろう」って思いながら、まあ書いているわけなんですけど(笑)。
――そうなんですね(笑)。
濱口:(笑)。それが、そういうものになったというのは、すごいことだなと、我が作品ながら思うわけです。で、それをやってくれたのは、役者さんたちなんだと思うんですよね。テキストの状態ではありそうもない話だったものを、「こういうことって、あるかもしれない」と思わせてくれたのは、やっぱり役者さんたちの力が大きいというか。それは、役者さんが持っている技術というのももちろんあるんでしょうが、根本的にはその場で本当に感じたことが映っていたりするからだと思うんです。それが「こういうこともあるんじゃないか」っていう感覚を、ありもしない物語に与えてくれているのではないかと思っていて。なので、この映画を観て、もし仮にそういう体験を持ち帰ることができたのなら、それはすごくうれしいなと思うし、それは役者さんたちのおかげなんですということは、何度でも言っておきたいことですよね。
■公開情報
『偶然と想像』
Bunkamura ル・シネマほか全国公開中
監督・脚本:濱口竜介
出演:古川琴音、中島歩、玄理、渋川清彦、森郁月、甲斐翔真、占部房子、河井青葉
プロデューサー:高田聡
撮影:飯岡幸子
制作:大美賀均
エグゼクティブプロデューサー:原田将、徳山勝巳
製作:NEOPA fictive
配給:Incline
配給協力:コピアポア・フィルム
2021年/121分/日本/カラー/1.85:1/5.1ch
(c)2021 NEOPA/fictive