『The Hand of God』は“圧倒的”な一作に パオロ・ソレンティーノが考える“若者のすべて”

パオロ・ソレンティーによる“若者のすべて”

 そんなソレンティーノ監督の映画づくりの秘密の一端が垣間見えるのが、表現者との出会いである。芸術の絶対者として君臨するフェデリコ・フェリーニ監督への憧れや、のちに共同で映画を撮ることになるアントニオ・カプアーノ監督の、超現実的でメタフィジックなアプローチ……そして美しい女優たちへの憧憬が明かされていく。これは、ソレンティーノの映画監督としての核心の披瀝であり、同時にそれは本作そのものが、どのような哲学から作られているのかを示してもいるのだ。

『The Hand of God』

 ソレンティーノの芸術の萌芽と、その成長の過程を綴っていく本作は、そうやって醸成された芸術そのものによって、自身の芸術の始まりを表現しているという意味において、起点の見つからない円環構造となっている。映画のフィルムの頭とお尻を繋げたかのように、本作の冒頭とラストシーンは呼応し、永劫的な関係を生み出しているのだ。それはまるで、自身の尾を飲み込んだ円環の蛇「ウロボロス」のようでもある。ナポリを映し出した数々の刺激的な映像が、永遠に回転し続ける……そんな目眩すら覚えさせる永劫世界こそが、本作の正体なのである。

 もう一つ大事なことは、本作にはイタリアに生まれるということの、若者たちの“恍惚と不安”が投影されているという点である。フェリーニとともにイタリアを代表する監督の一人であるルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』(1960年)を観てみてほしい。南部の貧しい家族が大都会ミラノに移住するという内容のなかでとくに印象的なのは、ミラノ大聖堂の屋上で撮られたシーンである。若者たちの運命が描かれるこの作品において、レオナルド・ダ・ヴィンチの時代から建築されたという、長い歴史をくぐり抜けてきた、大規模かつ堅牢な造りのゴシック様式の教会は、短い時間しか生きることのできない人間の儚さや、そのさらに短命な“青春時代”の頼りなさを浮き彫りにしているようだ。

 ローマ、ミラノ、ナポリ、トリノ、そしてヴェネツィアやフィレンツェ……。ヨーロッパ各地には歴史的に重要な建造物のある景色が広がっているが、その中でもとくに古い時代の遺産に囲まれているイタリアの若者は、生まれた頃から自分という存在の小ささについて自覚せざるを得ないところがある。そこには、かつて世界を制するかに見えたローマ時代の権威や、その文化を復興しようとしたルネサンス期の文化的爛熟に比べ、現在や近い将来のイタリアが、そこまでの影響力を持つことはないという見通しと諦観が背景にあるようにも思える。

『The Hand of God』

 本作が映し出す、ナポリの街並みと自然が織りなす見事な風景とともに、力強く、あるいはミステリアスなものとして登場するのが、そこに住み、ファビエットを取り巻く老人たちや中年の人々である。ここで魅力的に描かれている大人たちの姿を観ていると、より年若い者たちの価値は、ただその“若さ”そのものにしかないということが強調されているように思えるのだ。つまり若者は、大いなる先人たちや歴史の重みに押しつぶされながら、自分が何者であるかを確立していかなければならないのである。そう考えると、何者かになりたい若者を描くイタリアの青春映画とは、超えるべき壁が非常に過酷だという前提を持っているといえよう。では、主人公ファビエットはどこに突破口を見出すべきなのか。

 マラドーナの存在が、間接的に主人公の未来を救うという奇跡を本作は描いている。まさに見えざる「神の手」によってファビエットは助け出されるのだ。しかし、本作の主人公がマラドーナを自分の守護聖人のようなものとして設定している意味は、それだけのものではない。

『The Hand of God』

 ファビエットの兄は役者志望で、フェリーニの映画に出演することで何者かになろうとするが、その夢は潰えてしまう。ある日、そんな兄とファビエットは、ナポリのクラブチームの練習でマラドーナがフリーキックをしている姿を眺めながら会話をする。そして兄は、マラドーナの本質はプレーそのものよりも、その裏にある強い精神力なのだと語りかける。何者かになりたければ、彼のように絶対にくじけない意志を持たなければならない。自分にはそこまでの強い気持ちを持つことはできなかったが、ファビエットなら持つことができると、彼は弟を勇気づけるのだった。

 マラドーナが「神の手」を見せた伝説のイングランド戦の一部始終を観ることがあるなら、その意味は分かるはずだ。世界でトップクラスの選手たちの中にいても、マラドーナはあまりにも圧倒的だった。彼はゲームを支配し、あらゆるプレーに絡み、脅威の「5人抜き」を披露してゴールを決めた。まるで凄まじい勢いで燃えながら飛んでいく溶岩のようである。そして、卓越した技術や身体能力はもちろんだが、そこに異常ともいえるゴールへの意志が存在することで、マラドーナはそのとき“神”となったということが理解できるだろう。

 マラドーナ擁するナポリがついにスクデット(優勝の盾の紋章)を獲得し、街じゅうが歓喜に沸いているなか、少年時代からサッカーに入れ込んでいたファビエットは、静かにナポリを後にする。その姿は、もはやナポリの街を従えるほどに頼もしく感じられる。マラドーナを愛するということは、ファビエットにとって、もはや彼のプレーや成功に拍手を送ることではない。彼の本質的な力を手に入れることで、自分自身が彼と同様に“圧倒的”な存在になることなのである。

『The Hand of God』
パオロ・ソレンティーノ監督

 本作『The Hand of God』は、そんな主人公によって象徴された、ソレンティーノ監督の強靭な意志そのものであり、彼の考える“若者のすべて”が詰まった一作なのだ。そんな映画が、“圧倒的”でないはずがないだろう。

■公開・配信情報
Netflix映画『The Hand of God』
一部劇場にて公開中
Netflixにて独占配信中
監督:パオロ・ソレンティーノ
出演:フィリッポ・スコッティ、トニ・セルヴィッロ、テレーザ・サポナンジェロ、マーロン・ジュベール、ルイーザ・ラニエリ、レナート・カルペンティエーリ、マッシミリアーノ・ガッロ、ベッティ・ペドラッツィ、エンツォ・デカーロ、ソフィア・ゲルシェヴィチ
リノ・ムゼーラ、ビアージョ・マンナほか

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる