コクトー×メルヴィルの傑作が4Kリマスター版で蘇る 『恐るべき子供たち』の真の価値とは
映画発祥の国フランスで、1950年代の終わりに起こった、映画芸術の新たな潮流「ヌーヴェル・ヴァーグ」。その映画史的革命の10年ほども前、その到来を示す先触れとなった重要作があった。それが、ジャン・コクトー原作、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の『恐るべき子供たち』(1950年)である。そんな記念碑的作品の4Kリマスター版が、この度日本の映画館で上映される。
だが本作は、歴史的な存在でありながら、歴史の中に行儀よく収まっているだけではない。驚くことに、そこで描かれた先進的な内容は、現代の日本の人々の生き方の問題をも、間接的に照らし出すものともなっているのである。ここでは、そんな多面的な新しさを持つ『恐るべき子供たち』の真の価値を明らかにしていきたい。
その物語は、男子中学生たちの雪合戦の最中、一人の学生ポールが、憧れの男子生徒ダルジュロスの放った雪玉を胸に受けたことで倒れ込み、親友に支えられ家にたどり着くところから始まる。そんなポールの療養生活を助けることになるのは、彼の姉エリザベットである。ベッドで寝ているポールに対して、彼女は「もう学校なんて行かなくていい」「ずっと部屋にいて、外に出るのは、おやつを買いに行くときだけでいいよ」と語りかける。
ときにポールと激しいケンカを繰り広げることもあるエリザベットだが、創造力に溢れている彼女は、空想を語ることで子ども部屋の中に、一つの“世界”を創り出す。かくして二人は、“負傷“”という大義名分を得て、子ども部屋というワンダーランドの中で、精神を遊ばせ続けることになるのだ。『ポーの一族』の漫画家・萩尾望都『恐るべき子どもたち』が、この物語を漫画にしたように、この美しい姉弟の織りなす世界は、親密な雰囲気と耽美的な魅力に溢れている。そこでは、姉と弟の間に、家族愛以外のものを投影しているようにも感じられるのである。
この物語の精神的な先祖にあたるフランス文学は、1884年に発表された、ジョリス=カルル・ユイスマンスの『さかしま』であろう。その内容は、ある貴族の青年が邸宅から出ずに部屋の中を華美に飾って、その世界に浸っていくというもの。だが、本作の姉弟は貴族ではない。社会的にも経済的にも、こんな子ども部屋の引きこもり生活はそれほど長く続くわけがないのだ。しかしエリザベットは、二人のモラトリアム(猶予状態)を継続するため、あらゆる方法を講じることになる。それによって、本作の内容は“恐るべき”本領を発揮していくこととなる。
原作者ジャン・コクトーは、少年時代より詩人として活動し、パリで第一線の芸術家たちに評価され、また親交を結んだように、ある意味で“恐るべき子供”だった。そして彼は、詩人として以外にも、小説家や劇作家、画家や映画監督としても優れた業績を残す天才的な総合芸術家となっていく。そんなコクトーの遺した作品のなかでも、本作の基となった同名の原作小説『恐るべき子供たち』は代表的な仕事であり、もちろんフランス文学のなかでも重要作とされている。
本作が生まれる経緯には、1923年、コクトーがその才能を見出し、愛人関係にもあったとされている作家レイモン・ラディゲの死がかかわっている。『肉体の悪魔』などを発表し、コクトー同様に若くして成功を遂げた彼は、病によって、20歳というあまりにも短い人生を終えることになった。最期を看取ったコクトーは、それ以来、阿片を常用するようになり、健康を崩していった。
1929年、依存症の療養中に舞台美術家のクリスチャン・ベラールから聞いた、ブールゴワン姉弟の噂にインスピレーションを受けたコクトーは、20日に満たない期間で、一気に『恐るべき子供たち』を書き上げたという。そこに描かれた、死の香りが漂う子どもたちのドラマは、コクトーの内面の喪失と闘病の経験によって紡ぎ出されたものだったのである。
コクトーにとって本作は自身の投影であり、大事な人との親密な時間の記憶に、ギリシア悲劇のような古典的な美を見出していたのかもしれない。だが、一部の若者たちはこの小説の退廃から、画一化される社会の閉塞感を打ち壊す、一種の希望のようなものを感じることになったという。そして、およそ20年の時を経て、当時新鋭の映画監督であったジャン=ピエール・メルヴィルが、そんな一種の過激な面を含めながら、当時の若者の姿として映画化したのである。そんな、若さゆえのパワーや革新性が、ヌーヴェル・ヴァーグへの道を開いたといえるだろう。