小松菜奈が持つ被写体としての神秘性 初の長編映画単独主演までの道のりを追う

小松菜奈が持つ被写体としての神秘性

レンズの境界に立つ

 小松菜奈の映像メディアにおけるデビュー作は、瀬田なつき監督の珠玉の短編『シャボン玉』(2010年)とされている。瀬田なつき監督の傑作短編『あとのまつり』(2009年)における風船の割れ方、寿命が、シャボン玉に応用されている。「屋根まで飛んで、壊れて消えた」シャボン玉の儚さの中で踊る、ここでの小松菜奈の無邪気さは、前述の「放心の演技」と二律背反の関係にある。それが同一の作品内で、もっとも分かりやすい形で表現されたのが、『さくら』の美貴役といえるが、小松菜奈の表現の持つ邪気/無邪気を行き交う原点は、『シャボン玉』の中にすでに見出すことができる。そして、邪気/無邪気を自由に行き交う様は、小松菜奈のコメディエンヌとしての活躍にもそのまま直結している。

『恋は雨上がりのように』(c)2018映画「恋は雨上がりのように」製作委員会(c)2014 眉月じゅん/小学館

 小松菜奈のコメディエンヌとしての才能が炸裂しているのが、『恋は雨上がりのように』(永井聡監督/2018年)だろう。女子高生のあきら(小松菜奈)が、アルバイト先の45歳のファミリーレストランの店長(大泉洋)に強く思いを寄せる。あきらに迫られる店長は彼女を傷つけないよう、やんわりと常識的な振る舞いで、恋愛だけを拒み続ける。怪我をするまで陸上競技のスター選手だったあきらは、映画のオープニングから、凄まじいスピードで走り続ける。このときのあきら=小松菜奈の走るフォームの美しさが、そのまま、このキャラクターがこれから素描していく恋愛に対する強引で真っすぐな線とダイレクトに重なっている。小松菜奈でなければ、このキャラクターは現実の世界にいない、どこかの架空の世界にいるキャラクターの造形になっていたかもしれない。永井聡の演出と小松菜奈の演技は、このキャラクターの造形、そして感情を決してデフォルメ化しない。そこにこの作品を傑作として成立させた勝因がある。

『さよならくちびる』(c)2019「さよならくちびる」製作委員会

 『さよならくちびる』のレオが、突然思い立って、その場から消えてしまうことが何度もあったように、小松菜奈が演じるキャラクターからは、突然目の前に現れて、突然いなくなってしまう、人を不安な気持ちにさせる魅力がある(このことは、小松菜奈が中学生のときから敬愛しているという蒼井優が、その初期の出演作で「風」のような存在だったことを連想させる)。

 小松菜奈の演じるキャラクターは、「3」という数字の中でその敏感さを発揮していることが多い。たとえば『さよならくちびる』の門脇麦、成田凌との3人組。『さくら』の吉沢亮、北村匠海との3兄妹。『坂道のアポロン』(三木孝浩監督/2018年)の知念侑李、中村大志との3人組。小松菜奈の演じるキャラクターは、誰かに恋をしているか、誰かに恋をされている。傷つくことに敏感になりながら、感情を隠す選択をしたヒロインは、一時的に感情を外に避難させる。このときの放心の間。『さよならくちびる』の3人の空間は、3人が3人共、同じように一時的に心を避難させる「放心の空間」を構成している。だからこそ、突然消えたり突然戻ったりを繰り返す3人が、車の中で同一のフレームに収まったときの感動は深い。

『恋する寄生虫』(c)2021「恋する寄生虫」製作委員会

 最新作『恋する寄生虫』(柿本ケンサク監督/2021年)でヒロインを演じる小松菜奈は、他の映画と同じように、風のようフワッと、しかし鮮烈な印象でフレームに登場する。いつもヘッドフォンを耳にかけながら歩く視線恐怖症のひじり(小松菜奈)と、極度の潔癖症でマスク姿の賢吾(林遣都)という二人が、まず第一にフォトジェニックだ。この作品では、二人が歩いている姿を同一のフレームに収めることに注意が払われている。それは三秋縋による原作の序章や映画内でも触れているように、「フタゴムシはパートナーを最後まで見捨てない。一度繋がったフタゴムシは、二度と互いを離さないの。無理に引き剝がすと、死んじゃうんだ」という、ロマンチックな逸話に忠実に沿った撮影ともいえる。

 この「恋人たちのフレーム」は、世界から拒絶されていると感じながら生きている二人の結びつきを強調する。二人が町を歩くシーンで、ひじりが賢吾に向かって、「人を猫好きにさせる寄生虫!」(トキソプラズマ)と弾んだ声で話すとき、小松菜奈のアップにされた表情が何の細工もしていないにも関わらず、まさしく猫の顔に見えるという驚きが用意されている。

『恋する寄生虫』(c)2021「恋する寄生虫」製作委員会

 このショットは、「映画の語り」という面において説得力を与えている。また、どこの都市とも特定されない都市から飛び出し、恋人たちのフレームが湖に向かっていくという展開は、偶然にも『ムーンライト・シャドウ』における河のイメージと共振している。この二作品の中で「水」は、死と再生のイメージを担っている。小松菜奈は、ひじりというキャラクターに、ここまでの作品で培ってきた、映画を強引に駆動させる動物性と、強引であることの裏に隠された自傷性を同時に表している。この作品で自転車を二人乗りで走るシーンは、『溺れるナイフ』の二人乗りバイクがそうであったように、どこか思い出のフィルムの走馬灯に直接レンズ越しで立ち会っているかのような感慨がある。

 小松菜奈は、レンズの向こう側とレンズのこちら側を自由に行き来している。むしろレンズの境界に立っている。『溺れるナイフ』で、森の中で仰向けに寝そべった夏芽(小松菜奈)が、樹々の間から差し込む眩しい光に向けて放つセリフがある。「レンズの向こうにいるみたい」。スクリーンに映る小松菜奈に向けられた、これほど美しい言葉は他にない。

■公開情報
映画『ムーンライト・シャドウ』
全国公開中
出演:小松菜奈、宮沢氷魚、佐藤緋美、中原ナナ、吉倉あおい、中野誠也、臼田あさ美
原作:『ムーンライト・シャドウ』吉本ばなな(新潮社刊『キッチン』収録作品)
監督:エドモンド・ヨウ
脚本:高橋知由
配給:SDP、エレファントハウス
(c)2021映画『ムーンライト・シャドウ』製作委員会
公式サイト:moonlight-shadow-movie.com
公式Twitter:@moonlight_sdw
公式Instagram:@moonlight_sdw

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