小松菜奈が持つ被写体としての神秘性 初の長編映画単独主演までの道のりを追う

小松菜奈が持つ被写体としての神秘性

神秘への批評

『ムーンライト・シャドウ』(c)2021映画『ムーンライト・シャドウ』製作委員会

 吉本ばななの原作を映画化したエドモンド・ヨウ監督による『ムーンライト・シャドウ』(2021年)は、小松菜奈の持つ被写体としての神秘性を分析するドキュメントともいえる。クローズアップで捉えられた小松菜奈=さつきの装いには、ブルーのメッシュとブルーのマスカラが施されていて、それがアップされる度に、いつにもまして小松菜奈の細かい挙動や呼吸のあり方を意識させられる。風に触れることで乱された髪。何気ない小さな目の瞬き。それらの細部が残像のように、見る者の瞳の記憶として残っていく。

『ムーンライト・シャドウ』(c)2021映画『ムーンライト・シャドウ』製作委員会

 映画における小松菜奈は、普段映像を見ていて気にならないような、見逃してしまいがちな細部をクローズアップさせる。それは誰にでもできるようなことではない。たとえば、アンナ・カリーナの諸作品を見るときに(ジャン=リュック・ゴダールの監督作品に限らず)、私たちはアンナ・カリーナの持つ、予測を裏切るような直感的な動きに、そこで語られている物語を超えた部分で魅せられる。そこにアンナ・カリーナが持つ神秘へ向けられた演出が加えられているにせよ、実際に出来上がった作品には、演出家の想定を超えたもの、演出家を驚かせる細部が記録されていたはずで、だからこそ多くの映画作家と映画ファンはアンナ・カリーナに魅了される。

『ムーンライト・シャドウ』(c)2021映画『ムーンライト・シャドウ』製作委員会

 それと同じような資質が小松菜奈という被写体には備わっている。小松菜奈は、フォトジェニックであるということだけに留まらず、細部の「動き」を意識させてくれる被写体なのだ。『ムーンライト・シャドウ』は、感傷の物語という意味で、エドモンド・ヨウ監督の短編『冬の断片』(2011年)に近く、女性の機微のドキュメントを集めるという点で、傑作『破裂するドリアンの河の記憶』(2014年)の二人のヒロインや、水原希子が出演した『Malu 夢路』(2020年)の女性たちが持っていた機微のドキュメントの記録に近い。『ムーンライト・シャドウ』は、小松菜奈=さつきの持つ神秘性を忠実に追いかけながら、それを凍てつくような冬の光の下にさらすことで、その神秘性自体を分解していく。恋人を失ったヒロインの行き場を失った感情だけが、冬の光にさらされる。冬の世界でさつきは体温を求め続ける。さつきにとって走ることは、自身の体温を確認する儀式なのだろう。しかし幸福だった時間でさえ、さつきは夜中に突然目を覚まし、隣で寝ている等(宮沢氷魚)の心臓の鼓動を確認する。エドモンド・ヨウの演出は、よしもとばななによる原作がモチーフにしている「不在」に対して、言葉を介さずに呼応する。

『ムーンライト・シャドウ』(c)2021映画『ムーンライト・シャドウ』製作委員会

 『ムーンライト・シャドウ』は、失敗に終えたかのように見えたドミノ倒しが、まったくの偶然により再び動き始めるまでを描く(柊=佐藤緋美のダンス)。この作品を霊的なのものとして捉えたエドモンド・ヨウは、おそらく、『Malu 夢路』で描かれた、「住宅街に突然現れる墓場」という、日本の町の風景の持つ特色に寄り添っている。生と死の境目が曖昧に溶け合い、共存しているかのような風景。そこにエドモンド・ヨウがこれまでのフィルモグラフィーで探求してきた、「河」をモチーフにした死生観が、偶然にも重なっている。

 小松菜奈は、これでまでにも追い詰められて行き場を失った感情を、演技の表象として外に逃がす「放心のヒロイン」を何度も演じてきた。そこには神秘に抗うような一人の女性のドキュメントが表現されていた。小松菜奈のフィルモグラフィーとは、彼女の名前を一躍とどろかせた『渇き。』(中島哲也監督/2014年)で演じた神秘的でミステリアスな少女像に対して、自ら批評することから始まったのかもしれない。

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