『おかえりモネ』が描き出すそれぞれの“傷” 朝ドラが向き合ってきた「震災をどう扱うか」
多くのエンターテインメント作品がそうであるように、ここ10年の朝ドラは「震災をどう扱うか」という課題と向き合う必要があったように思う。時代設定に2011年が含まれる現代劇であれば当然のこと。たとえその年が含まれない時代劇であっても、戦争という辛苦から立ち上がる人々の姿を描きながら、間接的に震災で傷ついた人々の気持ちに寄り添おうとする作劇もいくつか見受けられた。さらにこの1年余りではコロナ禍も加わり、作り手は「朝ドラで伝えるべきメッセージ」とは何なのか、より一層深く考える必要があったのではないか。
東日本大震災からちょうど10年が経つ2021年の春から放送を開始し、宮城県を舞台にした現代劇『おかえりモネ』(NHK総合)。このドラマが震災をどう描くのか、多くの視聴者が注目したはずだ。物語は震災から3年後の2014年、気仙沼は亀島で育った主人公・永浦百音(清原果耶)が高校を卒業後、登米の森林組合で見習いとして働き出すところからスタートする。
第1話で、「牡蠣に転生した」祖母・雅代(竹下景子)による「海で育った百音は、今、山にいます」というナレーションとともに、太陽の下で洗濯物を干しながら伸びをするという、いかにも朝ドラヒロインらしい仕草で百音が登場するが、同じ回の終わりで、ここ、登米の山に来るに至った記憶がフラッシュバックする。回想の中の百音が絞り出す「とにかく私は、この島を離れたい」という悲痛な叫び。第1話からいきなり、大きな陰を湛えたヒロインであることが明かされる。そして回を追うごとに、少しずつ百音の心の闇が紐解かれてゆく。
音楽好きの父・耕治(内野聖陽)の影響で、幼い頃からサックスを嗜んできた百音。中学時代はブラスバンドに青春を捧げ、仙台の高校の音楽コースを受験した。2011年3月11日、百音と耕治はその合格発表を見に仙台を訪れていた。結果、試験には落ちてしまったものの、ランチをしに立ち寄ったジャズ・バーでのライブに魅入られ、百音はあらためて自分の音楽への愛を確かめた。その瞬間に、時計は「午後2時46分」を刻む。
直接的なシーンは挟まず、次の回の始まりが同じ日の夜になっていたのは、まだあの日の恐怖を克服できていない視聴者への配慮だろう。しかし、大好きだった音楽への熱狂が、一瞬にして恐怖へと反転してしまった百音の心情が痛いほどに伝わってくる。その日、百音が高台から見たのは恐ろしい光景だった。津波で破壊された貯蔵タンクから漏れた重油に火がつき、生まれ故郷の亀島を囲む海が、燃えていた。
数日後、臨時の船でやっと亀島に戻れた百音は、津波から逃れてきた妹の未知(蒔田彩珠)や幼なじみたちと避難所で再会する。皆の無事に安堵したのも束の間、自分だけがここにいなかったこと、何もできなかったことへの悔恨と自責が百音の心に押し寄せる。第5話の終わりで北上川の移流霧を見ながらこぼした、「あの日、私、何もできなかった」という言葉の背景には、この体験があった。「あの日」どこにいて、何をしていたかという運命の分かれ道で、その後の生き方まで変わってしまう。